成尋ら新船で杭州より出船 997
5/30 雨 今日は行者と通事のトラブル発生。
「座禅返事付劉都綱了 肥前々司消同付了 行法了 経四
張行者与通事口論放言 仍出船了 頗非常行者也」
*座禅→日本に残った成尋の弟子僧と思われます。
*劉都綱=劉錕(宋と日本を往復する商船の船主・船頭さん)
*肥前前司→渡宋の際、肥前国でお世話になった国司
*張行者→張(苗字)。行者は僧侶前の修行者で雑実務担当者
(彼らは以前、5/12に出現していました。)
座禅と肥前前司へ消息を記した手紙を劉錕に託した。
修行法終了、経典4巻読了。
張行者と通事(通訳)と口論になり、張行者が暴言を吐く事態に。
そんな険悪中、新船を出した。頗る非常な張行者だった。
6/01晴れ 新船を手配してくれた転運使にお礼伺い、強風の中、出船。
「為申船悦 参転運使衙 奉謁了 有茶湯嵩大師来告
張行者事不足言也 又殿直同来示不承引 但在殿直船不可制止由了
中略 開閘出船了 大卿舒州守也 恐風不出船 殿直同不出
実出船了風止 」
新船を用意してくれた温かい気付いを感謝する為、地方長官役所へ
お邪魔した。長官に無事に会え茶湯のもてなしを受けた。
そこへ嵩大師が来て告げた。
「(昨日の)張行者の暴言は言葉にするのも足りない程です。」と。
又、護衛の殿直も一緒に来て、
「(張行者の振る舞いを)承知しかねます。但し、彼の部下ゆえ
私の船に預かりますが彼を速やかに制止する事が出来ません。」と。
いよいよ、杭州の閘門(水門)を開け都市部を離れ郊外へ船出します。
大卿(杭州長官)は舒州太守も兼ねているお方だった。
*杭州と舒州の位置関係
杭州→現在の浙江省杭州市 舒州→安徽省安慶市・潜山市一帯
長江を挟んで北岸(北西側)が舒州、南岸(南東側)が杭州に。
船を出そうとしてところ、強風になる恐れあったので出船を止めた。
殿直の船も同じく停船した。ところが成尋が出発するよう促した。
実際に船を出すと、なぜか風が止んだ。(とのお話でした。) 続く。
(尚、原文は参天台五台山記 早稲田大学図書館 8→1073/04~)
ところで、猛暑続きの今日この頃、暫し「夏休み」を頂きます。
皆さん、お達者で~、暫し、おさらばえー。

| 固定リンク













観て


コメント