成尋 杭州転運使官署を訪問 993
5/19 この日の天気情報は記述なし、お忘れなったのかしらん?
「卯一点出曳船 過九十里 戌一点杭州十八里宿 中略
今日未時左右轆轤牛合十四頭曳越長安堰了 塩官駅内也」
*長安堰→秀州と杭州との間にあった運河の堰
*塩官駅→現在の浙江省嘉興市海寧市塩官鎮
5:00頃曳き船にて出発。
19:00頃50㎞程過ぎ杭州まで10㎞程の宿で泊まる。
ここの到着する途中の14:00頃、要衝「長安堰」を轆轤・牛頭で越えた。
5/20 晴れ 今日は杭州に入ります。
「卯一点出船 辰時過十八里至臨平売買 次至広厳寺逗留
即曳船 上帆 入杭州了 過九十里至照礼亭止船宿了 後略」
*臨平→現在の浙江省杭州市臨平区
*広厳寺→現在の中国浙江省杭州市上城区の「浄慈寺」の前身寺院
5:00頃出船。8:00頃18㎞程過ぎ臨平に到着。船頭・船員らは買物。
次に「広厳寺」に着、暫しこのお寺で休息。
曳き舟と帆を張り進み、杭州市街地に着。
ここまで約50㎞程、「照礼亭」で船を止め船にて宿泊する。
5/21 晴れ この日は見知りが合流、又、杭州のお役所に伺います。
「辰時通事陳詠来 劉錕李詮従日本来由 一乗房乗船来者
乍悦迎送人処 皆船頭等相共来拝 点茶并分酒二瓶了 中略
申時参転運使衙被納文字 後依沙汰文字事等不出会
被来為悦者 次参知府舎人許 人々喫酒之間 不触案内還了 後略」
*劉錕 李詮→二人共に船頭さん 「一乗房」を日本から連れてきた
*一乗房=永智→1072/3/15に「壁島」で成尋らと別れ日本に残った僧
3/15条に宋に渡った僧名が記述されています。
成尋 頼縁・聖秀・惟観・心賢・善久・快宗・長命の8名。
尚、今回帰国する僧5名は頼縁・聖秀・惟観・心賢・善久の方々。
*転運使→広域行政長官 地方財政・地方官(州・県)掌握等担当
*衙→官署(役所)
*沙汰文字→提出文書の役所側文書の事務手続き
*知府舎人→杭州知府(地方役所)の事務官
8:00頃一足先に杭州入りしていた通訳僧「陳詠」(5/13先立ち)が来る。
日本から帰ってきた劉錕・李詮らの船に乗船していた一乗房が
たいそう悦んで私達を迎えてくれた。点茶・お酒二瓶を振る舞う。
16:00頃杭州の転運使役所に参上。文書を提出中の為、転運使に
面会出きなかったが官吏の皆さんは悦んで会いに来てくれた。
次に、杭州地方役所の官吏を訪ねたが酒盛り中だった為、
取次をせず、船に戻った。 続く。
(尚、原文は参天台五台山記 早稲田大学図書館 8→1073/04~
北宋時代の地名等々は「Google AIモード」のお力を拝借してます。)

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