奝然 大蔵経・釈迦如来像持ち帰り 969
宋史には更に奝然に関する事が記されています。
「奝然復求詣五台 許之 令所過続食
又求印本大蔵経 詔亦給之
二年 随台州寧海県商人鄭仁徳船帰其国」
(慶應大学メディアセンター デジタルコレクション 明監本宋史 P46 17行目~)
*台州寧海県→現在の浙江省寧波市
奝然は更に五台山を訪ねて請願し、許され、訪れる地域で食糧の
補給を受ける事となった。又、印本の大蔵経を求めたところ、
詔によりこれも与えられた。
二年後、台州寧海県の商人鄭仁徳の船に乗って帰国した。
食糧確保の実体は不明ですが、各訪問地域で食べ物が頂けた?
それよりも驚きは木版印刷された「大蔵経」です。
こちらの仏教典籍の総集「大蔵経」は
太祖(趙匡胤927~976在960~976)の時代にスタートした
国家事業の編纂継続で太宗時代(太祖弟939~997在976~997)
に完成した「開宝蔵⇒宋版大蔵経(5,048巻)」になります。(983年刊)
この前年(982)には奝然が太宗から住居と許された太平興国寺に
「訳経院」(梵語〈サンスクリット語〉の翻訳所)が設置されています。
太宗がたいそう仏教を奨励していた事がこれらから窺えます。
このできたてほやほやの「大蔵経」を奝然は勅命で頂けたんです。
(〈明日最終回の蔦重なら〉とっても「ありがた山」ってとこです。)
大願成就の奝然はこの2年後の986年、
宋商人「鄭仁徳」の船にて日本に無事戻れたのです。(京都着987年)
ところで、奝然に関する詳細情報は帰国する際、こちらも許されて
持ち帰った「(木造)釈迦如来像」の胎内に入ったいた手印状、及び、
メモ書き紙片により判明したとの事です。(1954年発見)「清凉寺」
「大日本史料」に「清凉寺縁起」を発見しました。
「釈迦如来像(原寸 身長1.597m)」(P109~P110)も存在しました。
(東京帝国大学 昭和3年3月10日発行)
是非ともご確認下さいませませ。 続く。
暮れもそろそろ押し迫る今日この頃、今年もお世話になりました。
2025年度の出稿は本日でお仕舞いにします。
それでは、皆様におかれましては良いお年をお迎え下さい。

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