「宋史」とんでも間違いあるある 964
宋史にも誤謬・間違い・書写時の脱字等々数あれど、
「彥瀲第四子号神武天皇 自筑紫宮入居大和州橿原宮
即位元年甲寅 当周僖王時也」
幾ら、架空・創作物語とは云え「神武天皇即位」年だけはいけません。
神武帝の即位年は「日本書紀」に依ると
「辛酉年春正月庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮 是歳為天皇元年」
辛酉の年春一月一日、この年を天皇の元年とする。
(国立国会図書館 デジタルコレクション 日本書紀 神武帝 P19 10行~)
辛酉年はB.C.660とされています。
(こちらの経緯は「B.C.660年神武帝 橿原宮で即位 讖緯説」にて)
宋史の「即位元年甲寅」の「甲寅」の年はB.C.667年に当たります。
更に、宋史は「当周僖王時也」と記してますが、僖王(=釐王)の
在位年はB.C.681~B.C677ですから違います。
B.C.667・660年は周王、恵王(在位B.C.676~675 B.C 673~652)の時代。
宋史編纂者が奝然の王年代紀の辛酉を甲寅と読み間違ったとしても
恵王の御代を僖王とするのはいやはや何とも・・・・・。
但し、奝然の王年代紀に甲寅と記述されていたら奝然の書き間違い。
まさかそんな事はないと考えたいのですが・・・・・。
お次は「神功天皇」「息長足姬天皇」との表記。
「古事記」→息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)《仲哀帝の后》
「日本書紀」→気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)《応神帝の摂政》
決して、「神功天皇・息長足姬天皇」とは記載してません。
又、時代は下りますが南朝正統を唱えた北畠親房(1293~1354)執筆
「神皇正統記」(1339~43)は下記の通りです。
「第十四代仲哀天皇日本武尊第二子」
(国立国会図書館デジタルコレクション 神皇正統記 [2] P18 13行目)
「第十五代神功皇后ハ息長之宿禰女開化天皇四世之御孫也」
(国立国会図書館デジタルコレクション 神皇正統記 [2] P19 16行目)
「第十六代第十五世応神天皇仲哀㐧四子御母神功皇后也」
(国立国会図書館デジタルコレクション 神皇正統記 [2] P22 6行目)
帝の順列は14代(14世)仲哀帝→15代→16代15世応神帝と表記
神功皇后を帝とは認識していません。
奝然の「王年代紀」には「神功皇后」記述を「宋史」編者が
勝手に「神功天皇」としてしまったのかしらん? 続く。

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