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2025年10月 4日 (土)

宋史に僧「奝然」が登場 959

この「宋史」に日本史ではあまりお取り上げがない
「奝然(ちょうねん)」(938~1016)と云う僧が出現します。
平安中期の三論宗の僧。京都の人。東大寺に学び永観元年(983)
入宋、太宗に厚遇され五台山などの霊地を訪ねて四年後に帰国。
大蔵経約五千巻三国(印・中・日)伝来と称する
グプタ朝様式の釈迦像(清涼寺釈迦堂の本尊)などをもたらした。
*三論宗→南都六宗の一つ。中論・十二門論・百論をよりどころ
 として大乗の教えを説くもの。
*太宗→北宋第二代皇帝(939~997在976~997)
*五台山→中国山西省北東部の五台県にある霊山。
 五峰がそびえ立ち、大塔寺、清涼寺、金閣寺、北山寺などが
 建てられており、仏教三大霊場の一つ。標高3040m。
*大蔵経→経律論を中心に諸高僧などの著書を集めた仏教典籍。
*経律論→経と律と論。三蔵。
*グプタ朝→古代インドの王朝。四世紀の初めから五世紀末まで
 栄えた前期グプタ朝をさすが広くは六世紀の初めから八世紀前半
 まで栄えた後期グプタ朝を含める。
(日本国語大辞典 精選版 小学館)とあります。尚、
「清涼寺」の紹介で「本尊 赤栴檀の釈迦如来(国宝)」説明のみ。
「仏門」関連はからきし不得手ですので大辞典のお力拝借。
では「宋史」へ、

「雍熙元年(984) 日本国僧奝然与其徒五六人浮海而至
 献銅器十余事 并本国職員今(令) 王年代紀各一卷
 奝然衣緑 自云姓藤原氏 父為真連 真連 其国五品品官也」
(いつものように、旧漢字は新漢字に置き換えてます。)
日本国僧奝然とその弟子五六人が海を渡って来訪。
銅器十数点を献上し、さらに本国の官吏の年代記と王の年代記各一巻を献上した。
奝然は緑の衣をまとい、自ら藤原氏と名乗り、
父は真連で、その国で五品品官の地位にあったと語った。
一体、奝然が父親と称する「藤原真連」はどちら様かしらん? 続く。

Kiku5

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