宋史列伝の外国に日本登場 957
漸く、先週で「新唐書」の読み解きは終了しました。
中華王朝「正史」の「東夷 日本」に関する記述はお仕舞いです。
「新唐書」は「旧唐書」撰の115年後、
欧陽脩(1007~1072)・宋祁らが編纂、1060年に成立した件は
以前、お話ししました。
この「旧唐書」~「新唐書」の間、「正史」は二つ存在します。
1 旧五代史 974年北宋の薛居正らの撰
2 新五代史 1053年北宋の欧陽脩の撰
但し、こちらには「日本」に関する記載はありません。
ところが、次の「正史」である「宋史」に
「巻四百九十一 列伝第二百五十 外国七」の中に
「流求国 定安国 渤海国 日本国 党項」が記述されていて
我が日本も決して「東夷」でなく「外国」の一つの国として登場します。
「宋史」は「新唐書」から285年後の1345年に成立しています。
編纂は「元」の中書右丞相・脱脱(託克託 トクト)の下、欧陽玄ら。
(「元」王朝は1271~1368年ですので、滅亡23年前の編纂です。)
北宋(960~1127)~南宋(1127~1279)の319年の「史書」に。
又、「宋史」成立1345年同時に「遼史」・「金史」も撰述されています。
遼王朝(916~1125)契丹人耶律氏の征服王朝
金王朝(1115~1234)女真族の征服王朝
因みに、「遼史」国外記(高麗・西夏)、「金史」外国(西夏・高麗)のみ
で日本は残念ながらお取り上げされてません。
「宋史」ですが「日本」が描かれているのは491巻目です。
この史書は中華「二十四史」中、圧倒的な巻数を誇ります。
何と、496巻も制作されているのです。(旧唐書200巻・新唐書225巻)
と云う事で、来週から「宋史」についてお話しします。 続く。

| 固定リンク













観て


コメント