新唐書 東夷日本読み解きXI I I 953
夏休み皆さんお元気でした?
それでは前回からの続き、新唐書 東夷 日本の読み解きです。
お洒落な生成AI「Gemini」の日本語訳になります。
長安元年~越州朝貢の訳
「長安元年(西暦701年)、その王の文武が立ち、元号を大宝と改め、
朝臣真人の粟田を遣わして貢ぎ物を献上させた。
朝臣真人というのは、唐の尚書(大臣)のようなものである。
進徳冠をかぶり、冠の頂には四方に開いた華麗な飾りがあり、
紫の袍(ほう)に帛の帯を締めていた。真人は学問を好み、
文章を作る才能があり、立ち居振る舞いに礼儀正しさがあった。
武后は麟徳殿で宴会を開き、彼を司膳卿に任命して帰国させた。
文武が死に、子の阿用(あよう→阿閇・阿陪皇女)が立った。
阿用が死に、子の聖武が立ち、元号を白亀(→神亀)と改めた。
開元の初め(西暦713年頃)、粟田が再び入朝し、諸儒に従って経書
を学びたいと願い出た。
詔勅により、四門助教(しもんじょきょう、大学の官)の
趙玄默(ちょうげんもく)を鴻臚寺(こうろじ、外国使節の接待機関)に
師として付け、大きな幅の布を謝礼として献上したので、
全て褒美を与え、書物と交換して帰国させた。
その副使の朝臣仲満は中国の文化を慕って帰国せず、
姓名を朝衡と改め、左補闕、儀王の友となり、広く学問に通じ、
長く滞在してようやく帰国した。
聖武が死に、娘の孝明(→孝謙)
が立ち、元号を天平勝宝と改めた。天宝十二載(西暦753年)、
朝衡が再び入朝した。上元年間(西暦760年~761年)、
左散騎常侍(皇帝の側近の官)、安南都護に昇進した。
新羅が海路を妨害したため、
改めて明州、越州を経由して朝貢した。」
「文武死して子の阿用立つ」 文武帝亡き後即位したのは「子」でなく
彼の母である元明帝です。又、元正帝が存在してません。 続く。
代 帝名 在位期間 在位年(日本書紀から)
42 文武帝 697年08月~707年06月 09年
43 元明帝 707年07月~715年09月 08年
44 元正帝 715年09月~724年02月 08年
44 聖武帝 724年02月~749年07月 25年
46 孝謙帝 749年07月~758年08月 09年

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