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2025年7月19日 (土)

斉明女帝 熟田津出航にてX 950

660年、この年「石造りの王都」建造を急いだ理由の一つであり、
一番怖れていた事態が起きてしまうのです。
660年67歳9/05百済から知らせ 7月唐・新羅軍に百済侵攻され滅亡と
 10月百済遺臣の鬼室福信の使者来倭 唐軍捕虜百余人献じる
 救援依頼と百済王家人質の王子(せし)余豊璋の帰国願い 帝は承諾
 12/24帝は百済再興で救援軍引き連れ筑紫へ赴く為、先ず難波宮へ
何と、女帝は自ら筑紫へ赴き、百済再興の意志を明確にするのです。
661年斉明女帝は御年68歳になります。
661/01/06 帝編成の軍船団は瀬戸内に向けて難波港から出発
661/01/08 大伯海(おほくのうみ)に至る 大田皇女が皇女出産大伯皇女と
大伯は昔の邑久郡で現在の岡山県瀬戸内市
*大田皇女は父中大兄・母遠智娘 夫大海人皇子
*大伯皇女(=大来皇女661~701)
この記述から女帝は兵士軍団は当然として
一族郎党・身重の女性までも引き連れ、遠征したのです。
661/01/14 伊予熟田津(にぎだつ)の石湯行宮(いわやのかりみや)に泊
*伊予熟田津→現在の愛媛県松山市沿岸
661/03/25 娜大津(なのおほつ)着 磐瀬行宮に 帝は彼の地を長津と改名
*娜大津→現在の福岡市博多区沿岸

1/06難波津~1/08大伯海~1/14熟田津~3/25娜大津の行程から
熟田津~娜大津の間は時間がかかっています。
瀬戸内海から北西へ伊予灘、周防灘、関門海峡を抜け、
日本海の響灘を南西への航路。荒海の日本海に手こずったかも。
熟田津を出航する際、力強く素敵な歌が詠まれてます。
「熟田津尒(尓) 船乗世武登 月待者
 潮毛可奈比沼 今者許藝(芸)乞菜」
熟田津に、船(ふな)乗りせむと、月待てば、
潮(しほ)もかなひぬ、今は漕()ぎ出()でな
上記は「万葉集」額田王歌とありますが、本文「注」に
「即此歌者天皇(=斉明女)御製焉」とも記述されています。
(万葉百科 奈良県立万葉文化館)
わたくし共ZIPANGUは齢を重ねても屈強な斉明女帝と考えてます。
  続く。

Asagao

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