飛鳥須弥山石・酒船石・亀石IX 949
前回、斉明女帝の「石造りの王都」造営ですが、
日本書紀にはいつ完成したのか記されていないのです。
657年64歳 7/25飛鳥寺の西に須弥山の像(かたち)を造営とあります。
「須弥山石像」の単品造営ですので、
これ以前、概ね「飛鳥の石王都」は建造済みと考えられます。
書紀にはこの後「須弥山造営」が2箇所記載されてます。
658年65歳 阿倍比羅夫が蝦夷討伐 5月孫建王8歳死去
7月沙門智通・智達ら勅にて新羅船で唐へ渡り玄奘法師の元に
10/15帝は紀の湯で養生
11/11皇太子(中大兄)・蘇我赤兄の謀で有間皇子死去
659年66歳 帝1/03紀の湯より至(かえ)る、3/1吉野3/3近江へ行幸
3/17甘檮の東の川上(かわら)に須弥山造営 陸奥・越の蝦夷を饗宴
7/03遣唐使派遣 陸奥蝦夷男女二名共に(新唐書記載有り)
660年67歳 5月皇太子漏尅(ときのきざみ)製作 民達は時を知る
5月石上の池の辺に須弥山造 高さ廟塔程 粛慎(みしはせ)47人饗宴
「須弥山」は古代インド・仏教の世界観で世界の中心にあるとされる山。
女帝は「石造りの王都」の飛鳥を世界の真ん中と見立てたのです。
この須弥山が鎮座する空間に服従した隼人・蝦夷、及び、外交使節
を招待し饗宴を催しています。
因みにこの「須弥山石像」は1902年(M35)に発掘されています。
「須弥山・石人像」(国宝 国立文化財機構蔵) 更に、
1927年史跡に指定された「酒船石」(酒醸造施設説から命名と)
1992年「酒船石」のある丘周り全体が石垣造りと判明
2000年丘麓で「亀形・小判形石槽と湧水石」が発掘・発見されてます。
形は「石造物」(国営飛鳥歴史公園)でご確認下さい。
この丘の頂上にある「酒船石」と
丘の麓にある「亀形・小判形石槽と湧水石」は今現在、
斉明女帝の「祭祀儀礼」空間だったのではないかと考えられています。
女帝が麓の「亀形・小判形石槽と湧水石」の湧き水で身を清め、
丘頂上の「酒船石」にて外交・内政政策の占いを行い方針決定と。
*玄奘三蔵法師(602~664)は657年インドより帰還、
この時期、お持ち帰り仏経典の漢訳と「大唐西域記」口述で大忙し。
又、660年中大兄皇子が「漏尅(刻)」(水時計)を造り、それに基づき、
梵鐘を撞(つ)き飛鳥にお住まいの皆さんに時刻を知らせたとか。
*漏尅(刻)の図(671年4/25造作 国立天文台 暦計算室) 続く。

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