斉明女帝本邦初めて重祚VIII 948
孝徳帝崩御の翌年655年、本邦初になる出来事が!
なな、何と、皇祖母尊(前皇極帝)が再び、
御年62歳にも関わらず帝に復帰されるのです。(重祚して斉明帝)
そして、なぜか、この年の夏5月、異様な現象が現れます。
朔日の朝、空に「龍」に乗った者がいた。容貌は唐人感じ。
青い油笠(あぶらきぬのかさ)を着て葛城嶺より飛びきて生駒山で消えた。
お昼に至り住吉(すみのえ)の松嶺の上より西に向かい飛び去った。
この記述、作者の意図は一体何かしらん?
「龍」出現から斉明女帝の「自然界・水」を司る神秘性を表現なの?
この件は取り急ぎ置いておきます。
それでは、斉明女帝の御代を日本書紀を参照して辿ります。
655年62歳 1/03飛鳥板蓋宮で皇祖母尊は重祚し斉明帝に
2/25間人皇后(斉明帝のお嬢さん)崩御
5/01「龍」に乗った者が現れる
8/01前年大唐派遣の河辺臣麻呂らが還る
冬、飛鳥板蓋宮火災消失 飛鳥川原宮に遷る
この年、蝦夷・隼人が衆(ともがら)を率いて宮に詣で服(まつろ)ふ
656年63歳 香山(かくやま)西~石上山(いそのかみのやま)大運河建造
舟200隻で石上山の石を採石輸送、宮の東山迄順に石を重ねて垣に
時の人は狂心渠(たぶれごごろのみぞ)と云い謗(そし)ったと
「時に興事(おこしつくりこと)を好み、
水工(みずたくみ)をして渠(みぞ)を穿(ほ)らしむ」
運河溝掘りに3万人余、堤防石垣造りに7万人余を要したと。
これだけの動員数ですので倭全域から職人・人足を召集したのです。
*石上山(現在、天理市に)~飛鳥香具山まで凡そ15㎞とか。
石上山から石を切り出しこの運河を利用し香具山西への運搬段取り。
「興事を好み」と記されていますが斉明女帝が好き好んで「土木工事」
をお好きだった訳ではありんせん事よ。
海外周辺国(特に大唐)から倭国を守る為、
大王(おほきみ)中心の新たな国造りの必要性から、
先ず、早急に堅固な王都造営をしなければならなかったんですよ。
しかし、民達はそこが分からず女帝を謗ったのでしょう。
時の素敵な為政者は民に迎合するばかりではダメなんですよ。 続く。

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