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2025年6月21日 (土)

皇極女帝新企画 八角墳VI 946

642年7/27雨乞いの為、僧に大乗経典等を読経させ、
 蘇我蝦夷は自ら香鑪を手に取り、香焼きして雨乞い。
7/28 翌日小雨がちょいと落ちますがこの程度では全く役立たず。
7/29 効果がないので読経を止めてしまいます。
この危機的状況に、皇極女帝が立ち上がります。2日後の
8/01 飛鳥川南淵の川上に赴いた女帝、
 そそと跪き、四方(東西南北)に拝礼、
 天を仰ぎ、雨が降るよう祈りを捧げます。すると、間もなく、
 雷鳴とどろき恵みの大雨、何と5日間も降り続いたとか。
 この事態に世の民達は大喜び、
 この上もない徳をお持ちの女帝であると褒め称えたと。
皇極女帝は「女性がお持ちの研ぎ澄まれた感性」を悉く発揮、
この素敵な感性を理解できない民は「奇跡を起こせる神」と
思えたことでしょう。蝦夷の世の政治経済を統べるよりも
「自然を支配できる」女帝を崇めるのはまさしく必定。
正に魏志倭人伝で紹介下さった「卑彌呼」さん感じでは?
「女子為王 名曰卑彌呼 事鬼道 能惑衆」
彼女は呪術に優れ、民を魅了し統治したのですよ。
皇極女帝も全く引けを取りません。翌年豪族との差異表示の為、
彼女は墳墓のデザインを大変更します。
前方後円墳(大王〈おほきみ〉・豪族)→方墳(大王・豪族)→変更し、
新企画の八角墳(大王及び大王縁者)と方墳(豪族)と明確にします。
(尚、前方後円墳は欽明帝まで以降推古帝・蘇我馬子らは方墳)
643年50歳 9月舒明帝押坂内陵(上八角下方墳〈本邦初〉)に埋葬
現在は「段ノ塚古墳(桜井市観光協会)」と称されています。
内角135度の正八角形構造物は
奈良「法隆寺東院夢殿」(文化遺産オンライン)も。
皇極女帝企画、新デザイン八角墳は彼女は勿論、
息子の天智・天武帝、お嬢さんの間人皇女は母と合葬、孫の持統帝は
天武帝と合葬、玄孫、文武帝の方々迄がこの型の墳墓です。天智帝が
667年に皇極・斉明女帝の為に三段重ね八角墳を造営してます。
2009~2010年にこの墳墓劣化に依る崩落から発掘調査されました。
この際、方形墳と思われていたものが調査で何と八角形墳と判明。
2022年コロナの最中、この古墳が復元されたのです。
それが「牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)」(古都飛鳥保存財団)です。
是非とも、この造形美を御覧下さいませ。 続く。

Botan

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