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2025年6月28日 (土)

皇極女帝初めて生前譲位VII 947

皇極女帝が新墳墓デザインの八角墳を造営した2年後、
宮中で「刃傷沙汰」の大事件が生じたのです。
645年52歳 6/12「乙巳の変」で蘇我入鹿死去6/13蘇我蝦夷が自害。
 これにて大豪族蘇我宗家一門が滅亡してしまうのです。
 6/14女帝の弟・軽皇子へ譲位(孝徳帝50歳) 息子・中大兄を皇太子に
 又、この日、孝徳帝は皇極女帝を皇祖母尊(すめみおやのみこと)と。
この「生前譲位」と「豪族合議無しでの大王選出」は本邦初めて。
これ以前、大王(おほきみ)選出は前大王崩御の場合のみでした。
更に、大王選びは豪族同士の合議で決定されていました。
従って、極めて皇極女帝は画期的なことを成し遂げたのです。
日本書紀で皇極女帝は蘇我入鹿殺害の件は事前に知らされてない事
になってます。しかし、それって偽情報の可能性が極めて高いです。
何せ6/12殺人事件発生、6/14新大王決定の早業ですから。
総合制作・企画プロデューサーは皇極女帝さん。
制作現場ディレクターは中臣鎌子32歳、主演俳優は中大兄皇子20歳。
その他出演者は極僅かな方々ってな感じ。
 12/9難波長柄豊碕宮に遷都(難波宮完成は651年)
646年53歳 孝徳帝が「(大化)改新の詔を宣(のりたま)ふ」とあります。
 しかし、今現在、これは日本書紀のフェイク情報とされてます。
650年57歳 2月穴戸(長門)国から白雉が献上されこの年白雉元年
651年58歳12月完成した難波長柄豊碕宮に遷る
653年60歳5/12遣唐使派遣
 この年孝徳帝の許しを得ず、皇太子が皇祖母尊・間人皇后・皇弟等
 を率いて飛鳥河辺行宮へ遷る、公卿大夫・百官等皆随ったとか
654年61歳 2月遣唐使派遣 12月新唐書に琥珀と瑪瑙が献上記事有り
 10/1皇太子が孝徳帝病情報で皇祖母尊・間人皇后らを率き難波宮に
 10/10孝徳帝崩御
 12/8皇太子らが飛鳥河辺行宮へ遷る
日本書紀の記述ではこの10年間の人間模様がよく見えません。
特に、653年の出来事がとても不可解です。
孝徳帝と皇太子(中大兄皇子)との間の諍いが何やら窺われます。
孝徳帝の具体的な実績は大唐(もろこし)派遣2回とやや寂しめ。
  続く。

Botan

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