用明亦曰目多利思比は誤謬 III 943
新唐書 東夷 日本の読み解き続きです。
先週は新唐書での天皇在位の歴史で「女神功為王」(神宮女帝)まで
進みました。次の応神帝~宣化帝迄は全く問題ありません。
欽明11年=549年で南朝梁の承聖元年=552年ですので3年違い。
次の「海達」は敏達帝の漢字配当誤り。
そして、次の用明帝記述は「隋書倭国伝」記述と齟齬が生じています。
新唐書
「次用明 亦曰目多利思比孤 直隋開皇末 始与中国通」
(次は用明、またの名を目多利思比孤といい、
隋の開皇の末(西暦600年頃)に、初めて中国と通交した。)
隋書倭国伝
「開皇二十年(600年)
俀王姓阿毎 字多利思比孤 號阿輩雞彌 遣使詣闕」
用明帝の在位は585~587年で
彼の御代には遣隋使を派遣してません。
又、隋書では明確に「開皇二十年~遣使詣闕」と記されてます。
「多利思比孤」については
新唐書では用明帝の別名で「目多利思比孤」と
隋書では倭王の姓→阿毎(=天)・
字→多利思比孤・号→阿輩雞彌(=大王おほきみ)と明示されてます。
因みに、「隋書」は636年に完成していますので記述に信憑性が・・・・・。
以前、この隋書倭国伝から私どもZIPANGUは
「厩戸皇子」を「厩戸大王=豊聡耳法大王」と結論づけました。
従いまして、新唐書の叙述は単なる誤謬と考えます。
次の崇峻帝の崩御後、「欽明之孫女雄(推)古」もお間違い。
推古帝は欽明帝のお嬢さんでお孫さんではありません事よ。
欽明帝のご子息は敏達・用明・崇峻・推古の4名が帝位に。
代 帝名 在位期間 在位年
29 欽明帝 539年12月~571年04月 32年
30 敏達帝 572年04月~585年08月 14年
31 用明帝 585年09月~587年04月 02年
32 崇峻帝 587年08月~592年11月 05年
33 推古帝 592年12月~628年03月 36年
34 舒明帝 629年01月~641年10月 12年
35 皇極帝 642年01月~645年06月 03年(日本書紀から)
続く。

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