新唐書東夷日本の新情報II 942
「日本は古(いにしえ)の倭奴である」~「官には十二の等級がある」と
「その風俗は椎髻」~「貴賤を明らかにした」迄は
「旧唐書 東夷 倭・日本国」の情報を基本的に引用しています。
この間に記述されている
「その王は阿毎氏で、自ら言うには最初の主は天御中」
~「次は舒明、次は皇極。」は全くの初お目見えになります。
倭・日本国の「最初の主は天御中主」で「彦瀲に至るまで」
「尊を号とし」から「日本書紀」が出典先と思われます。
因みに、「古事記」は「天御中主神」となってます。
又、「彦瀲」は「彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)」で通称「山幸彦」。
「古事記」では「火遠理命(ほをりのみこと)」表記です。
不可思議な事は「筑紫城に住んでいた」との記述。
こちらは「日本書紀」にはありませんので一体誰からの情報かしらん。
古く九州の筑紫・豊・肥・熊曾の「筑紫」で
現在の北九州地区のどちらかに「尊」がお住まいだった事にしてます。
更に、具合が悪いことに「彦瀲の子の☆神武が立ち」とあります。
☆神武が立ち神武の日本書紀記載は「神日本磐余彦天皇」
(かんやまといわれびこのすめらみこと)です。日本書紀に登場する最後の
天皇は高天原廣野姬天皇(たかまのはらひろのひめのすめらみこと)。
持統帝になります。この漢風諡号の神武~持統は淡海三船
(722~785)が撰したと云われています。従って、これ以降どこかの
時点で唐王朝に伝わりこの「新唐書」に記された事に。
神武帝の父は「鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあわせずのみこと)」、その父は
「山幸彦」ですから、神武帝は子ではなく孫になるのです。
もし、子としたなら一番大事な「天孫降臨神話」が崩壊してしまいます。
神武帝から「天皇」と号され、「大和州に都を移した」が神武東征の話。
「仲哀が死ぬと、開化の曾孫の女 神功が王となった」
日本書紀執筆者らが無理矢理「卑弥呼(倭の女王)」に措定、
仕立て上げようとした「神功女帝」になります。
尚、「魏志東夷倭人伝」が詳しくお取り上げ下さった
「倭女王→卑弥呼」について「旧・新唐書」ともに
一言も触れていませんのよ。ちょいと寂しく・もの悲しい気持ち。
それから、帝の順列は「神武元年~推古八年=1260年」にてご確認。
続く。

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