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2025年3月 8日 (土)

玄宗帝御代2回遣唐使派遣V 933

「開元初又遣使来朝~開成四年又遣使朝貢」の「Gemini」訳
「開元初年、再び使者が朝廷にやってきて、儒学者を派遣して
 経典を教えるよう請願した。そこで、朝廷は四門助教の趙玄黙に
 命じ、鴻臚寺において日本使節に教えることとした。
 日本側は、敬意を表して幅広の布を贈り、その上に『白亀元年調布』
 と記した。しかし、人々はこれを偽物ではないかと疑った。
 日本使節が得た褒賞は、すべて文物を購入するために
 使い果たされ、海を渡って帰国した。その副使であった朝臣仲満は、
 中国の風俗を慕い、そのまま唐に留まり、名前を朝衡と改めた。
 左補闕や儀王友などの官職を歴任し、長安に50年間住んだ。
 彼は書籍を好み、後に故郷に帰ることを許されたが、
 再び唐に逗留した。天宝十二年、再び使者が貢物を携えて来た。
 上元年間には、朝衡は散騎常侍に昇進し、鎮南都護に任命された。
 貞元二十年、再び使者が来朝し、橘逸勢と空海という留学生を
 連れてきた。元和元年、日本国使の判官である高階眞人が、
 先の留学生たちが学業をほぼ修めたので帰国したいと願い出、
 自分とともに帰国したいと申し出た。朝廷はこれを許可した。
 開成四年、再び使者が朝貢に来た。」
 (「其偏使朝臣仲満」をその副使であった朝臣仲満は誤訳?)
ここに記述された「旧唐書」の遣唐使情報
717年霊亀03年 聖武帝(開元初年 玄宗)
753年天平勝宝05年 孝謙帝(天宝十二年 玄宗)
804年延暦23年 桓武帝(貞元二十年 徳宗)
806年延暦26年 平城帝(元和元年 憲宗)
839年承和06年 仁明帝(開成四年 文宗)
玄宗「開元の治」がスタートした時期、及び、
玄宗が楊貴妃にメロメロな時節に唐にお邪魔してます。
*開元の治
中国、唐朝第六代の皇帝玄宗の初期の治世。
則天武后以来の政治の乱れを正し、安定した社会を作り上げた。
年号の開元(713~741)にちなんで呼ぶ。
(日本国語大辞典 精選版 小学館) 続く。

Sakura

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