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2025年1月18日 (土)

玄宗崩御後も907年迄続く唐王朝 926

皆様におかれましては、良いお年をお迎えの事と思います。
それでは、本日より前回の続きになります。

「安史の乱」により618年からの唐王朝はそろそろ滅亡かと思いきや
以後、145年も続き、907年迄も続いたのです。
確かに玄宗の御代の栄華は蘇りませんでしたけれども。
継続に貢献したのが高力士の後を継ぎ宮廷・政を牛耳った宦官達。
09玄宗皇帝を継いだのが
10粛宗(711~762在756~762)宦官李輔国(初期高力士の下僕)
11代宗(726~779在762~779)李輔国→程元振・魚朝恩
12徳宗(742~805在779~805)宦官
13順宗(761~806在805~805)宦官
14憲宗(778~820在805~820)具文珍
15穆宗(795~824在820~824)王守澄
16敬宗(809~824在820~826父穆宗)王守澄
17文宗(809~840在826~840父穆宗)王守澄
18武宗(814~846在840~846父穆宗)仇士良
19宣宗(810~859在846~859父憲宗)馬元贄
20懿宗(833~873在846~873)宦官
21僖宗(862~888在873~888父懿宗)宦官「874~884年黄巣の乱」
22昭宗(867~904在888~904父懿宗)楊復恭
23哀帝(892~908在904~907)黄巣軍→官軍の朱全忠の傀儡
*黄巣の乱
中国、唐末の農民反乱。塩の密売業者であった王仙芝(874年)、
黄巣(875年)らが流民を傘下に集めて挙兵。
四川を除くほぼ全土を戦乱に巻き込み、
880年には長安を陥れて大斉国を建てた。
約10年で平定されたが、鎮圧に活躍した藩鎮の勢力が強くなり、
唐朝滅亡の原因となった。(日本国語大辞典 精選版)
*藩鎮・・・辺境地方駐屯守備軍隊、司令官は節度使。
右側記載の宦官達が基本的に皇帝を擁立しました。
又、安史の乱後、皇帝直属軍(禁軍)も宦官が統率しました。(神策軍)
従って、強大な軍事力を背景に唐王朝の存続を担ったのです。
女性・子孫に柵(しがらみ)がない彼らの王朝運営に依り、
いにしえより連綿と続いた「貴族制度」が崩壊することになったのです。
このことが五代十国後に中原・江南を統一した「宋王朝(960~1279)」
に於いて1905年まで続く名実相伴なう「科挙制度」が確立するのです。
(但し、男尊女卑思想から女性には受験資格を付与されない現実も。)
「唐王朝」の幕を下ろし、後梁を建国した朱全忠(852~912)。
この梁は901年に「唐王朝から「梁王」を命じられた事から。
彼はその地域、黄・淮河平原現在の安徽省宿州市碭山県生まれ
との事ですので突厥(テュルク)北方系ではなく漢族系統やも。 続く。

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