五代十国命名はそのまま 927
五代後晋にて端折りましたので今回紹介します。
唐~北宋間の江南(華中・華南 北漢除く)十王朝「十国」について。
唐(618~907)
呉(902~937首都は江都〈揚州〉)→南唐(937~975江寧・南昌)
呉越(907~975首都は銭塘〈杭州〉)
荊南(907~975首都は江陵〈荊州〉)
楚(907~951首都は長沙〈湖南〉)
前蜀(907~925首都は成都)→後蜀(934~965成都)
閩(909~945首都は長楽〈福建〉)
南漢(909~971首都は興王府〈広州〉)
北漢(951~979首都は太原〈山西〉)
北宋(960~1127)
因みに、中原(華北)五代は下記になります。
唐(618~907)→
後梁(907~923)→後唐(923~937)→
後晋(936~947)→後漢(947~951)→後周(951~960)→
北宋(960~1127) 《各々の首都は後唐が洛陽でそれ以外開封》
「五代十国」と命名された理由が上記から明確になります。
中原は代々軍人リーダーが変わるものの、概ね支配空間は同一。
それに引き替え江南地域は地方群雄割拠の呈を来しました。
何やら、「呉」「蜀」、及び、「後梁」を「魏」とすると三国志時代の感。
又、「楚」の首都、長沙は現在湖南省の省都になってます。
三国志時代、彼の地で関羽は長沙太守・韓玄と戦闘。(長沙の戦い)
紀元前に遡れば、楚(西楚)は項羽、
近代に目を移せば毛沢東・劉少奇は長沙出身ですよ。
序でに、湖南省の湖は「洞庭湖(ドウテイコ)」(面積は琵琶湖の4倍と)。
洞庭湖の南に位置するので湖南省、北は湖北省とやや安易に命名。
来週は後晋時代に執筆された「旧唐書」(945年撰)です。 続く。

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