玄宗 楊貴妃と比翼連理叶わずX 921
次に引用したのは「比翼連理」。式部はそのまんま使用してます。
「七月七日長生殿 夜半無人私語時
在天願作比翼鳥 在地願為連理枝」
(国立国会図書館デジタルコレクション 長恨歌P15 3行目~)
*七月七日→七夕の日 *長生殿→華清宮
牽牛(アルタイル)・織女(ベガ)星が鵲(かささぎ)の翼を橋として
天の川で逢う日。
*鵲の橋 (日本国語大辞典 精選版 小学館)
(「風俗通」の「織女七夕 当レ渡レ河 使二鵲為一橋」による語)
陰暦七月七日の夜、牽牛、織女の二星が会うときに、
鵲が翼を並べて天の川に渡すという想像上の橋。
男女の仲をとりもつもの、
男女の契りの橋渡しの意のたとえにも用いられる。
*風俗通(=風俗通義)・・・応劭(オウショウ 後漢末の人)著
*比翼の鳥
雌雄各一目一翼、常に一体となって飛ぶという空想の鳥。
*連理の枝
根元は別々で並んで生えている二本の木が、
枝部分の途中から一つに繋がっているという伝説の樹木。
両方合わせて「比翼連理」。
(男女の仲が睦まじい例・男女の深い契りの四文字熟語)
玄宗と楊貴妃が七夕当日、二人だけの華清宮で深夜語り合った。
「天にあっては、願わくは比翼の鳥となり
地にあっては、願わくは連理の枝となろう」と。
この箇所を藤式部は以下のように
「朝夕の言種(ことぐさ)に、羽(はね)をならべ枝をかはさむと
契らせ給ひしに、かなはざりける命のほどぞ、つきせず恨めしき。」
(国立国会図書館デジタルコレクション 対訳源氏物語P14 41行目)
あけくれのお口癖にも「羽をならべ枝をかはさむ(比翼連理)」と
固く約束したにも関わらず、そうできなかった事が限りなく恨めしい。
本当に桐壺帝と更衣がお約束したかは不明ですが
彼女はこれを使用しかったのでしょう。
まさか、年上の夫・宣孝とは語り合ってはいない・・・・・。 続く。
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