楊貴妃・桐壺更衣の魂は何処IX 920
お次は「長恨歌」から源氏物語第一帖「桐壺」に導入したの道士・魂。
「悠悠生死別経年 魂魄不曾来入夢
臨邛道士鴻都客 能以精誠致魂魄
為感君王展転思 遂教方士殷勤覓」
(国立国会図書館デジタルコレクション 長恨歌P14 1行目~)
*魂魄(コンパク) (日本国語大辞典 精選版 小学館)
「魂」は心・「魄」は心のよりどころとなる形あるもの。
心身。または、たましい。霊魂。
*臨邛→今の四川省邛崍市 *道士→道教修得者 *鴻都→大都市
*精誠→真心を込める様 *教方士→道教の神仙術士
愛しい楊貴妃を亡くしてから幾星霜、彼女の霊魂は昨今
夢に出てこなくなった。そんな折、偶々、臨邛から「道士」が長安に。
この「道士」は純な真心で魂を呼び寄せる事ができると。
(取り巻きの方々は)玄宗の楊貴妃に対する思いを感じ入り、
「道士」に楊貴妃魂探索を懇ろに願い求めた。
この部分を式部は引用してます。
「『尋ねゆくまぼろしもがな伝(つて)にても
魂(たま)のありかをそこと知るべく』」
(国立国会図書館デジタルコレクション 対訳源氏物語P14 29行目)
優れて時めいた亡き更衣の霊魂を尋ねる「まぼろし(妖幻術師)」が
存在すれば、
人伝(ひとづて)によってでも更衣の居場所が分かるものの。
中華王朝時代の神仙術士ならいざ知らず、
これって、安倍晴明(はるあきら921~1005)でも無理っ!
桐壺帝の幻想(思慕)のみが解決できる事。
とは云うものの、「紫式部日記」に「物怪」が登場します。
「阿闍梨(あざり)の験(げん)の薄(うす)きにあらず、
御物怪(もののけ)(=悪霊)のいみじうこは(怖)きなりけり。
宰相の君のをき人にゑひかう(叡効)をそ(添)へたるに、
夜一よ(夜)、のゝしり明(あ)かして、声(こゑ)もか(涸)れにけり。
御物怪うつ(移)れど、召(め)しい(出)でたる人々(=寄坐)も、
皆(みな)うつ(移)らで騒(さわ)がれけり。」
(国立国会図書館デジタルコレクション 紫式部日記P11 13行目~)
*阿闍梨→高僧修験者
*験→修験僧の行なう加持祈祷などの効き目
*寄坐(憑坐)(よりまし)→物怪を寄りつける人物
「(御)物怪」と云えども「魂」に変わりありません。
(御は中宮彰子に取り憑いた物怪だから)
高僧修験者と彰子から移される役の寄坐とのお芝居には
この空間におられる皆さんは何か変とは思いながらも迫真の演技で
「幻想」を思わず「現実」と勘違いしてしまう始末。
この物怪は道長の深層心理の成せる業に他ありません。
藤式部もそれらの情景を時の経過後に笑う程おかしかったと吐露。
「(頭の)頂(いただき)には、うちまき(散米)を雪(ゆき)の様(やう)に
降(ふ)りかゝり、おししぼみたる衣(きぬ)の、
いかに見苦(ぐる)しかりけむと、後(のち)にぞをかしき。」
(国立国会図書館デジタルコレクション 紫式部日記P10 24行目~)
憑依した御物怪が中宮から寄坐に移動する際、
周りに女房達に取り憑かない様、雪が積もった感じに見える程
夥しい散米を頭に降りかけ「お清め・邪気祓い」したのです。
一方、「長恨歌」に登場する四川省からはるばる都・長安を訪れた
道士は楊貴妃の魂を探し出してしまうのです。フィクションとは云え
さすが「白髪三千丈」で「奥深い」ものがあるとお思いになりません。
続く。
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