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2024年10月12日 (土)

式部の白氏文集知識は為時から V 916

先週の源氏物語に記載されている「楊貴妃・長恨歌」の文言。
紫式部は白氏文集の「長恨歌」を読み込み創造を膨らませのか?
彼女は楊貴妃に関するこれ以外の書籍に目を通していたのかしら
又、彼女はどの程度「安史の乱」情報を得ていたのかしら
白居易の7文字×120行=840文字での長恨歌表現だけで
「源氏物語 第一帖 桐壺」に入れ込むのは大胆不敵ではありません?
派手好きで機転が利き、如才がなく、「愉快でお気楽」で
女好きな式部の年上夫・藤原宣孝から唐王朝玄宗皇帝時代の話は
聞けなかったと思われますが・・・・・?
たとえ心と裏腹でも常に明るく振る舞う清少納言、
人肌・心の機微の温もりを恋しく・追い求め続けた和泉式部とは
全く異なり、
式部の「根が暗く鬱陶しくて分かりにくい・地味でつまらない」性格から
「玄宗・玉環・安禄山」の人間模様を知り得る男性とのお付き合いは
なかっとも思われます・・・・・。
(「愉快で~」」「根が暗く~」は「光る君へ」脚本家の台詞です。)
はたまた、彼女は陰鬱ですから情報源を内緒にしていた可能性も?
否、やはり、考えにくいと思われます。
と云うよりも、かの時代の女性の事は「分からない」のが実状。
公卿のお嬢さん(女〈むすめ〉)以外、殆ど消息・経緯は不明が実体。
「源氏物語」にしても「第一帖 桐壺」から書き始めたのかさえ・・・・・。
但し、宣孝・お付き合い男性からは無理としてもとかく堅物と評される
式部(973?~?)の父・藤原為時(949?~1026?)から
情報を得る事は可能だったと考えるのが一縷の望みやも知れません。
為時の情報も少ないながら、彼は「文章生(もんじょうしょう)」でした。
*文章生 (日本国語大辞典 精選版 小学館)
古代・中世、大学寮で紀伝道を専攻した学生。
天平二年(730)設置。明経生が貴族の子弟に限られていたのに
対して、庶人にまで門戸を開いたものであったが、
紀伝道の地位上昇に伴って貴族化し、またその下位に
学生・擬文章生などの予備的課程を持つに至り、
寮試・省試などの試験を通過してはじめて与えられる
閉鎖的な地位となった。文章得業生となって対策に及第して
任官するのが本来であるが、文章生から直ちに対策し、
或は文章生を経ただけで任官する道もあった。
故に、為時は紀伝道(=漢文学・中国史)を習熟してる筈です。
 続く。

Kiku5

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