楊貴妃・玄宗 長恨歌III 914
楊玉環(719~756)さんの情報は中華王朝の正史「旧・新唐書」では
基本的に妃での僅かな分量のみ。只、記述されているだけでも評価?
玉環と玄宗との生活は接近遭遇(738年)から玉環他界(756年)迄の
18年間にも及ぶのです。
738年玉環20歳玄宗54歳玉環の豊満美貌にドッキリ
740年玉環22歳玄宗56歳玉環を妃に
745年玉環27歳玄宗61歳玉環を貴妃に
747年玉環29歳玄宗63歳の時点で胡人の安禄山が楊貴妃養子に
756年玉環38歳玄宗72歳楊貴妃長安から逃避中殺害される
そんなお二人を世に紹介されたのが白居易・陳鴻・楽史の皆さん。
白居易(772~846)の「長恨歌」、35歳806年頃の作品
「長恨歌」 (日本国語大辞典 精選版 小学館)
中国の詩編。七言古詩一二〇行、唐の白居易(楽天)撰。
玄宗皇帝が楊貴妃への愛に溺れて政を怠り安祿山の乱をひき起こ
し貴妃を失った深い悲しみをうたった詩。
陳鴻(?~?)進士合格805年から白楽天(進士800年)より若め?
*進士・・・科挙進士(経書知識と詩・賦の韻文作成力)科
「長恨歌伝」・・・長恨歌の解説小説版 長恨歌・長恨歌伝は下記で
(国立国会図書館デジタルコレクション 長恨歌傳 長恨歌 P11)
楽史(930~1007)
「楊太真外伝」・・・宋代初期の伝奇小説
このお三方共に玄宗・玉環が存在しない時代にこの世にお出まし。
従って、どちら様からの伝聞を脚色、詩・物語を創作しているのです。
「旧唐書」撰が945年ですので「長恨歌」が一番直近作になります。
(楊貴妃他界より50年後)
特に「長恨歌」は美しい文体・風刺・切ない恋物語から大好評得ます。
我が日本も838年に入手してます。
何と、「日本文徳天皇実録 巻第三」(879年完成)にあるのです。
「仁寿元年(851年) 略 九月 略 ○乙未(9/26) 略
散位従四位下藤原朝臣岳守卒 岳守者 略(承和)五年(838年)
為左少弁 辞以停耳不能聴受 出為大宰少弐 因検校大唐人貨物
適得元白詩筆奏上 帝甚耽悦 授従五位上」
(国立国会図書館デジタルコレクション 六国史 巻7 〈文徳実録〉P43 16行)
*藤原岳守(おかもり)(808~851)
*元白詩筆・・・元稹・白居易の詩集
*元稹(ゲンシン)(779~831)官吏 詩人 祖先は鮮卑系
藤原岳守は大宰少弐の際、唐商人の荷物検査で「元白詩筆」を発見、
それを譲り受け、或いは、買い求め、文徳帝にさし上げた838年 云々。
又、恵萼(留学僧)が「白氏文集」を日本に持ち帰ってます。(844年)
*白氏文集 (日本国語大辞典 精選版 小学館)
中国の詩文集。七一巻。もと七五巻。唐の白居易の詩文を集める。
前集五〇巻は「長慶集」「白氏長慶集」ともいい、唐の元稹編。
後集二〇巻、続後集五巻(後半散逸)は自撰。
前集は長慶四年(824)成立。全巻成立は会昌五年(845)。
流麗平易な表現様式や唱和詩を創造し、諷諭詩にも佳作がある。
白氏在世中に留学僧恵萼(エガク)が書写し日本へも伝来、
「文選」と並んで「文集」ともてはやされた。
*文選 (日本国語大辞典 精選版 小学館)
中国の総集。三〇巻。梁の昭明太子蕭統(ショウトウ)ら撰。
六世紀前半に成立。唐の李善注本六〇巻が伝わる。
周から梁に至る約千年間の美文の粋、約800編を文体別・時代順に
並べたもの。文体のうち圧倒的に多い賦と詩には郊祀・遊覧・贈答・
行旅など内容分類がされている。中国現存最古の選集。
日本への伝来は古く「白氏文集」と共に文集・文選と併称された。
続く。
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