中華王朝唯一の女帝 武則天III 909
夏休み皆さんお元気でした?
それでは前回からの続きで~す。
武則天は官吏登用にも変革をもたらします。
それ迄、世の男性から、ないがしろ・飾り者・慰み者扱いされた女性を
彼女は何と「高級官僚」として取り立てています。
何せ武則天は悪女扱いで数少ない資料しかありませんですので、
お一人だけしか紹介できませんがお許しを。
そのお方は「上官婉児(664~710)」さん。
上官は上級官吏ではなく、お名前です。
「神龍元年(705年) 略 上官婉兒(児)者 (上官)儀之女孫也
儀死 没入掖庭 弁恵善属文 明習吏事 (武)則天愛之
自聖暦(698年)以後百司表奏多令参決 及上(中宗)即位
又使專掌制命 益委任之 拝為婕妤 用事於中」
(資治通鑑〈シジツガン〉 卷第二百八 中宗(=李顕)神龍元年)
*上官儀(608~664)・・・婉児のお爺さん 武則天により獄中死去
*婕妤(ショウヨ)・・・皇帝側室の称号
*資治通鑑
中国の編年書。二九四巻。宋の司馬光撰。英宗の命で
治平二年(1065)着手、元豊七年(1084)完成し神宗に献上。
はじめ「通志」と称したが、治世に役立ち、為政上の鑑と賞され、
勅号を賜わった。戦国時代から五代末まで1362年間の編年通史で、
周紀に始まり後周紀で終わる。
(日本国語大辞典 精選版 小学館)
上官儀は李治=高宗に信頼された官吏、故有り獄中死、資産没収。
(子細は資治通鑑 卷第二百一にあります。)
上官婉児は奇しくも上官儀が死去した年に誕生してます。
彼女は頭の回転が良く、お爺さんに似たのか文筆にも長け、役人職務
に明るい持ち主。それ故、以前彼女の祖父を死に追いやったにも
関わらず、否、負い目を感じていたのか?武則天は彼女の才能を
評価し、いたく可愛がった。更に698年以降は特に行政参加させた。
武則天が亡くなり、李顕が再び皇帝になると彼も、上官婉児を重用、
ご自分の側室の身分までも与え、宮中を差配させたとの事。
(705年時点で李顕〈=中宗〉50歳上官婉児42歳)
武則天は男性社会に於いても、才長けた女性を官吏に登用する快挙。
女性リーダーだからこその成せる業と云われればそれ迄ですが・・・・・。
それって、ちょいと寂しい思い。 続く。
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