教円姉を尼僧に勧誘→信如房 905
先週「高貴女性のお気持ち出家」についてお話ししました。
彼女らは「正式受戒(東大寺・延暦寺受戒)」されてません。
これ迄紹介しました平安~鎌倉初期の比丘(男性僧)で
「正式受戒」された方は法然・親鸞(延暦寺)、貞慶(東大寺)です。
整理しますと下記になります。
法然(1133~1212延暦寺受戒)→親鸞(1173~1262延暦寺受戒)⇔
恵信尼(1182~1268? )⇒覚信尼(1224~1283)
貞慶(1155~1213東大寺受戒)→覚盛(1193~1249自誓・受戒)→
信如房(1211?~1278以後不明)
「恵信・覚信尼は比丘尼(尼僧)に非ず」です。
覚盛(かくじょう)は東大寺にて「自誓・受戒」。
自誓・受戒は東大寺・延暦寺の権威、及び、二寺の受戒儀式を経ない
でご自分自身で(勝手に)自己完結する行為。
信如房さんはこの自誓・受戒された覚盛から受戒しています。
善し悪しはわたくしどもの範疇外ですのでここでは触れません。
仏教界はとっくに、四角四面世界から懐深い多元的世界に
突入していたのです。これって、
日本意志決定文化、「先送り・曖昧・場当たり」の真骨頂やも。
それでは、中途半端にした信如房さん別枠の話に戻ります。
「比丘僧 転じて比丘尼に」ついての続きになります。
ここで、この女体に転じた「比丘僧」は何も好き好んで、
「比丘尼」になったわけではありません事よ!と語りました。
それは「覚盛」さんの要望だったのです。
自誓・受戒した彼を慕って「比丘僧」になる方が排出します。
ところが、「比丘尼」は誰も存在しなかったのです。
そこで、覚盛に弟子入りした「教円」が「比丘尼」になったのです。
信如房さんは教円に勧誘され「比丘尼」になられたのです。
「聖誉鈔」に依ると、教円は信如房さんの弟と記述されてます。
性転換して「比丘尼」になった教円にオルグられて女性僧になった
方が数多出現したそうです。その後、めでたく?教円は男性に復帰。
「其後ニ比丘尼余タ出来テ伴出来リタレハ
本ノ比丘僧ト成了ヌ教円房ハ比丘也」
(東京国立博物館 デジタルライブラリー 太子伝聖誉抄下P43 16行~)
教円の覚盛に対する思いは凄まじいものが。
ひょっとしたら、彼は密かに?覚盛を大好きだったとか・・・・・。 続く。
| 固定リンク
コメント