旧唐書 五代後晋時代執筆 906
ところで、この間、とんだ所まで行ってしまいました。
「隋書倭国伝」→「厩戸皇子(大王)聖徳太子」→
「天寿国繡帳」→「中宮寺中興の祖 信如房」→
「比丘尼」へ流れ「中宮定子 枕草子」まで紐解く事に。
子細は「粋・いなせ と服 目次№811~」を御覧あれ。
これにて、寄り道は終了、元に戻ります。
中国王朝歴史書で636年撰「隋書」の次は南北朝時代(439~589)を
扱った659年撰「北史・南史」があります。
しかし、こちらは「倭国」について特段の新情報はなく既存記述と同じ。
次なる歴史書は945年撰「旧唐書(くとうじょ)」になります。
著者は後晋の劉昫(887~946)等です。
後晋は唐王朝が倒れた後、中原(華北)に出現した五代の一国。
唐(618~907)鮮卑系王朝
後梁(907~923)出自不明
後唐(923~937)突厥(テュルク)系沙陀族の王朝
後晋(936~947)突厥(テュルク )系沙陀族の王朝
後漢(947~951)突厥(テュルク )系沙陀族の王朝
後周(951~960)突厥(テュルク )系沙陀族血流の王朝
北宋(960~1127)初代皇帝・趙匡胤(チョウキョイウン)出自不明
唐~北宋間の五王朝が「五代」。
*突厥
552年から、約二世紀間、モンゴル高原・中央アジアを支配
したトルコ系遊牧部族と、その国家。582年東西に分裂。
東突厥はモンゴル高原を支配し、630年唐に滅ぼされたが、
七世紀末に再興、八世紀なかばに滅亡した。
西突厥は中央アジアを支配し、七世紀中頃、唐に圧迫され、
七世紀末に滅亡。
△日本書紀(720)天智即位前(北野本南北朝期訓)
「突厥(トックヱツ)の王子(せしむ)契苾加力等と」
(日本国語大辞典 精選版 小学館)
*突厥(←テュルク)系=トルコ系←葡表記(Turco) 英表記(Turkey)
*沙陀族・・・突厥系の一部族 新唐書 列伝 沙陀に
「沙陀 西突厥別部処月種也 始突厥東西部分治烏孫故地
与処月 処蜜雜居 貞観七年(633年) 太宗(李世民597~649)
以鼓纛立利邲咄陸可汗 以下略」と。
李世民が「咄陸可汗(チュルク・カガン)=突厥王」に
「鼓纛(コトウ=鼓と旗)」と「利邲(リヒツ)」の名号を与えたと。
「旧唐書」は上の、目紛らしく変遷する時代の中、執筆されました。
尚、この間の江南(華中・華南)の「十国」は端折ります。 続く。

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