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2024年6月 1日 (土)

恵信尼消息西本願寺で発見1921年 899

「三善為教女法名恵信(日野一流系図)」→「恵信御房(口伝鈔)」
1551年→1331年より遡ること75年前、
恵信尼さんがお嬢さんに送った消息(お手紙1256~1268年10通)が
出没・公表されたのです。(「恵信尼消息」)
それが何と1921年(T10年)、今から100年程前の出来事。
それもお膝元の「西本願寺」にて発見されたとの事です。
見つけたお方は「鷲尾教導(1874~1928)」さんと。
Google Search Labsに依ると
「明治・大正時代に活躍した浄土真宗の僧侶で仏教史学者です。
 新潟県安城寺の住職を務め、岡山県の監獄教誨や本願寺史編纂
 事業の史料収集などにも携わりました。
 また、社会主義に興味を持ち、森近運平らと「平民新聞」の読書会で
 ある岡山いろは倶楽部を創設しています。」との事。
真宗教団組織は
650年もの間、内緒にされていたのではないかと思われますが・・・・・。
何やらご事情があったのかしら
それはさて置き、「恵信尼消息」の文面。
「《裏端書》
 わかさ殿へ御つほね申させ給へ
ちくせん
 もん(文)そも や(焼)かせ給てや候らんとて申候 略
 けんちやう(建長)八ねん(年)ひの江たつ(丙辰)のとし(年)七月九日
 略 けんちやう(建長)八ねん(年)九月十五日
 わうこせん(王御前)へ ゑしん(恵信) 略
 こそ(昨年)の十二月一日の御ふみ(文) □はつか(二十日)あまりに
 たしかにみ(見)候ぬ なりよりも 殿之御わうしやう(往生) 略
 あま(尼)か さやうの事申候らむは
 けにけにしく人も思ましく(間敷)候へば 略
 こうちやう(弘長)三ねん(年)二月十日 恵信」
真宗大谷派 東本願寺 真宗聖典検索 恵信尼消息 及び
 国立国会図書館 電子図書館 「恵信尼文書の研究」鷲尾教導著)
*建長八年→1256年 弘長三年→1263年
尚、「恵信尼文書の研究」は「恵信尼消息」が公表された2年後に
出版されています。 続く。

Botan

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