親鸞に帰依する恵信尼・覚信尼 900
先週紹介した「恵信尼消息」ついて。
文は全て「恵信尼文書の研究」からの抜粋です。
又、文書順は「真宗聖典 恵信尼消息」です。
「恵信尼文書の研究」には「恵信尼さんのお手紙」画像もあります。
是非ご覧下さいませませ。
詳しい文面内容もそちらの著書で。
先週の抜粋文面ですが
*わかさ殿→若狭殿→恵信尼の末娘、後の「覚信尼」さん
この「わかさ殿」は今のハンドルネーム風の仮名前。
「覚信尼」さんの父、親鸞の伯父で養父の「日野範綱」が「若狭守」を
得ていたからではと鷲尾教導氏は推定されてます。
(日野系図 西岸寺 浄土真宗本願寺派 親鸞聖人ご旧跡資料1)
それに対する
*ちくせん→筑前→恵信尼さん
この「ちくせん」はどちら様からお取りになったかは不明と。
しかし、お二人には「ツーカー」・「自明」・「一目瞭然」です。
*わうこせん(王御前)=後の「覚信尼」さん
*ゑしん(恵信)=「恵信尼」さん
又、恵信さんはご自分の事を「あま(尼)」と表現・記述してます。
従って、彼女はまごうことなき「恵信尼」さんなのです。
そして、連れ合いの親鸞を「殿の御往生」と表記、
彼女は彼を「との」とお呼びだったです。
故に、彼女自称の「尼」は「親鸞に帰依する女性」だったのです。
親鸞は「非僧非俗」ゆえに既存の「仏教界の建前儀式」である
「戒壇院での受戒」・「自誓・受戒」は全く以て不必要だったのです。
当然、ゑしん(恵信)さんにわうこせん(王御前)と呼ばれた
後の「覚信尼」さんも「父・親鸞に帰依する女性」であったのです。
恵信尼さんは1182生~1268? 往、王御前さんは1224生~1283?往。
「恵信尼消息」の最後10通目は1268年です。
従って、王御前さんはこの年、45歳以降に「覚信尼」さんに。
親鸞さんて、とっても素敵っ! 続く。
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