恵信尼さんの最後のお手紙解読 902
先週の「恵信尼さんの最後のお手紙」をZIPANGU風に。
《裏端書》には、この書をしたためた日時
晩春3月の12日午後9時~11時、「暗くてよく書けません」と。
《本文》恵信尼さんの近況報告から始まります。
この年迄生きているとは思いませんでしたが、
今年(1268年)は、いやはや87歳になってしまいました。
又、「とらのとしのもの(寅年)」と記されています。
お歳を干支換算で考えていたことが慮れます。
その前に「今年は八十七やらんむなりになり」とありますので
「八十七やらん八やらむになり」とは如何に?
今はあちらに逝く時を待つ日々になると思える程、
齢を重ねましたが有り難いことに呼吸器系は健全、
足腰も達者で万全、
「犬」のように野山を駆けまわっている感です。
但し、今年に入り、寄る年波に勝てず物忘れが激しくなりました。
次は略しましたがお嬢さんの王御前さん(後の覚信尼)が送ってくれた
「綾織」の着物へのお礼をされてます。
その次が子供達へのお気遣い、是非とも子供達の昨今の状態を
詳しく知らせて欲しいと切にお願いしてます。
次の記述はちょいともの悲しく辛いです。
口惜しいけれどもこの世ではもう子供達とは逢えなく、
私の姿形も子供達に見て貰えないでしょう。
ただ、私はもうすぐ「極楽」へ参ります。
そちらでは何でもあからさまに「観」ることができると思います。
従って、皆さん必ず「念仏」して「極楽」で集いお会いしましょう。
ここは凄く切ない気持ちに。
この次の略は皆さんでご確認下さい。
そしていよいよ最後のくだりです。
まだまだたくさん書き留めたく思うのですが
この手紙を届けて下さる方が「あか月(=暁)」に旅立つとの事。
周りはとても暗くて文字が見えませんのでこれまでにします。
これでお仕舞いと思いきや
縫い針を所望されてます。その縫い針ですが
手紙を届けた方にお渡し下さいと。
更に、返信文の中に入れて下さいと早く返事が欲しい感。
更に、再度子供達の子細連絡のお願い。
その連絡で心が「慰み候へ」と念押し。
まだ、未だ「万尽くし難く)候(たくさん書き尽くしたいのですが)」
ほんとにココまでにしておきます。
ここで終わりではないのです。
ところで、あなたの「宰相殿(お嬢さん)」はお嫁にいかれたの?
やっとこさっとこ、これにて終了なのです。
恵信尼さんの心温まる頬笑ましい文面に感激。
とても数え87歳の「おばあちゃん」とは思えませんことよ。
続く。
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