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2024年5月25日 (土)

口伝鈔では恵信御房と鸞聖人 898

先週、恵信尼と親鸞のお子さん達についてお話ししましたが
こちらの資料「日野一流系図」は1541年作成のものです。
因みに「日野」は日野家の事で親鸞の父が日野有範(?~1176?)から。
有範←有信←実綱←資業←有国(943~1011道長内覧時太宰大弐)
←略~~~←真夏(774~830)←藤原内麻呂(756~812)
真夏は内麻呂の長男も「平城帝派」により挫折、
弟の冬嗣(775~826)が「嵯峨帝派」により「藤原北家」継承者に。
真夏の血流が「真夏流=日野流→日野家」に。「日野」は、
所領地が山城国宇治郡日野(現在の京都府京都市伏見区)から。
(日野家の女性では「日野富子(1440~1496)」さんが傑出。)
この系図は恵信尼(1182~1268? )さんがお亡くなりになってから
270年以上経過していますので眉唾で考えなくては?
恵信尼さんは《三善為教女法名恵信》から「恵信」尼に。
又、この資料より以前に彼女の名前が登場するのは
最後のお子さん女子(覚信〈尼〉)のお孫さん「覚如」が
玉日姫母・恵信継母説ある善鸞の子・如信から聞き及んだ事を記した
「口伝鈔(くでんしょう)1331年」に。
「恵信御房男女六人君達(きんだち)の御母儀(ごぼぎ)」
真宗聖典検索サイト 真宗大谷派〈東本願寺〉口伝鈔 画像4行目)
ここでは「恵信御房御母儀」と表記されてます。
従って「恵信御房」後ろに「御母儀」から女性で母親と判明。
「房(坊)」だけでは性別不明なのです。
親鸞は「鸞聖人(らんしょうにん)」と。
「聖人(せいじん漢音読み)=Saint」ではなく
倭に漢音発音より先に入った呉音での読みになります。
*覚如(1270~1351)
鎌倉後期の真宗の僧。本願寺第三世。親鸞の曾孫。覚恵の長男。
大谷廟堂(親鸞墓所)の留守職となり、廟堂を本願寺と改称。
法然、親鸞、如信と相承する三代伝持の血脈を説いて
真宗教団の統一をはかった。
著「報恩講式」「口伝鈔」「親鸞伝絵」など。
(日本国語大辞典 精選版 小学館)
「大谷廟堂」は「龍谷山本願寺 大谷本廟の沿革」にて。 続く。

Ayame

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