« 大原問答→興福寺奏状 893 | トップページ | 親鸞 非僧・非俗 絶対他力 895 »

2024年4月13日 (土)

興福寺奏状→建永の法難 894

貞慶起草の「興福寺奏状」を興福寺首脳(官僧)が朝廷に提出。
*官僧・・・朝廷に仕える僧侶
法然を糾弾するこの異議申し立ては下記の9ケ条を以て表明。
1新宗を立てる失(勝手に浄土宗を名のっている)
2新像を図す失(阿弥陀仏図に光明を描きこんでいる)
3釈尊を軽んじる失(釈尊について言及していない)
4万善を妨げる失(法華経の読誦に敬意を払っていない)
5霊神に背く失(神を拝んでいない)
6浄土に暗き失(劣った念仏のみを憑み勝れた諸行を嫌っている)
7念仏を誤る失(口称のみを弥陀の本願であるとしている)
8釈衆を損じる失(破戒行為を恐れない)
9国土を乱す失(仏法と王法の衰退を招く)
興福寺奏状(新纂浄土宗大辞典)》
この異議申し立ては
既得権益保護を目論む既存仏教界の言いがかり・・・・・。
いつの世にも兎角ありがちな新旧争い。
とはいえ、法然→親鸞らの思想は「幼気な民」にとって
とても「心安らむ」時空間を与えてくれたのです。
なにせ、苦行・修行せずとも「念仏を唱える(称名念仏)」だけで
極楽往生できるんですもの。
(親鸞は更に「非僧非俗」→「信・不信は面々の御計」→「全他力」へ)
 *他力・・・阿弥陀如来(仏教界リーダー)の(本願)力
こんな有り難いことはございませんことよ?
ところで、時は鎌倉時代
源実朝将軍(1192~1219在1203~19)
北条義時執権(1163~1224在1205~24)
土御門帝(1195~1231在1198~1210)
後鳥羽上皇(1180~1239帝1184~98院1198~1221)院政の御代。
奏状を受理した朝廷は裁定先延ばしで対応。
そうこうしている内、「法然上人行状絵図(孫引き)」に依ると
1206年師走、上皇熊野参詣中、法然弟子の住蓮・安楽等が「東山鹿谷」
にて念仏声明法会を挙行、それに後鳥羽院小御所留守居の女房達が
参加、あろう事かそのまま「出家」する女房出現事件が。これに対し、
上皇は怒り心頭、翌1207年2月法然及び親鸞等は還俗・配流の宣旨。
最終的に法然は讃岐国へ、親鸞は越後国府中へ流され・赴く羽目に。
*鹿谷(=鹿ヶ谷)・・・東山三十六峰の一つの大文字山西麓山荘
この配流宣旨は「建永2年2月28日」(建→1206/4/28~1207/10/24)に
下されたので「建永の法難〈新纂浄土宗大辞典〉」と。 続く。

Sakura

|

« 大原問答→興福寺奏状 893 | トップページ | 親鸞 非僧・非俗 絶対他力 895 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 大原問答→興福寺奏状 893 | トップページ | 親鸞 非僧・非俗 絶対他力 895 »