高貴女性お気持ち出家に異変? 892
平安時代後期にも高貴な女性が「お気持ち出家」されます。
世は
「冠位十二階」→「唐模倣律令制国家」→「令外官摂関政治体制」の後
「院政」→「武家政権」へと移りゆく時代。
真如法(=待賢門院〈藤原璋子〉1101~1145 45歳)1142落飾
真性定(=美福門院〈藤原得子〉1117~1160 44歳)1156落飾
真如理(=上西門院〈統子内親王〉1126~1189 64歳)1160落飾
二位尼(=平時子1126~1185 60歳)1168落飾
真如覚(=建礼門院〈平徳子〉1155~1213 59歳)1184落飾
安養院(=尼御台〈北条政子〉1157~1225 69歳)1199落飾
清浄智(=宜秋門院〈九条任子〉1173~1238 66歳)1201落飾
等々の皆さん等が「尼」さんになられてます。
尚、上のお二人は「白河法皇 待賢門院 鳥羽天皇 美福門院」で。
建礼門院と尼御台がお過ごしになった時空は
武家台頭・政権への突入時代。
政治体制の変貌もさることながら、仏教背景も変化する事に。
奈良南都六宗→京都平安二宗、
所謂、鎮護国家仏教・病気平癒・怨霊退散と云われる仏教から
「末法思想」トレンド時代(1052年末法元年)へ。
*末法思想
仏教における一種の歴史観。釈迦の入滅後千年または千五百年、
あるいは二千年後に仏法が衰え社会に混乱が起こると考えたもの。
日本では平安初期すでに現われているが、
仏滅年次を周の穆王五三年(B.C.949)とし、
仏滅後二千年とする考えが固定した平安中期から鎌倉期にかけて
流行し、法然・親鸞・日蓮等による新仏教の基盤となった。
(日本国語大辞典 精選版 小学館)
仏教は朝廷・高級貴族(上達部〈かんだちめ〉・殿上人〈てんじょうびと〉)
のものから、中級貴族・地下〈じげ〉、
更に、幼気な一般民衆へも及ぶようになるのです。
民衆仏教迄へも広める道筋を造ったのが「浄土宗」開祖
「法然(1133~1212)」です。
続く。
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