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2024年3月 2日 (土)

源倫子一度目出家は法成寺落成前 888

倫子さんの二度目の出家(1039年)に「法成寺」と記されています。
大鏡裏書
*法成寺
平安中期、京都にあった寺。御堂とも。
治安二年(1022年)藤原道長が創建。
最初の寺域は現在の寺町より東、荒神口より北で、
方二町と推定される。顕・密・浄・禅各宗を混在。
道長自身無量寿院(阿彌陀堂)に住む。天喜六年(1058年)全焼。
鎌倉時代末に廃絶。
(日本国語大辞典 精選版 小学館)
既に道長は
1016年01月 摂政(長和5年正月)12月左大臣辞任
1017年03月 摂政・藤原氏長者を嫡男の頼通へ 位階従一位
1017年12月 太政大臣
1018年01月 後一条帝元服加冠の為 儀式後、太政大臣辞任
1018年10月 一家立三后「この世をば~」
と「この世の春」。但し、好事魔多し、病魔が彼を襲います。
堪らず道長54歳は1019年3月土御門邸で剃髪出家、寺院建立を発願。
翌1020年阿弥陀堂等が完成。(3/22)寺号は無量寿院(京極御堂)。
1022年に金堂・講堂・五大堂・経蔵、西北院(倫子発願)等々伽藍落成、
盛大な催しを行ったとの事(7/14)。これにて寺号が「法成寺」に。
(尚、道長は1019年9月に東大寺にて正式に受戒してます。)
一方、倫子さん58歳の一度目出家は
道長出家に遅れる2年後の1021年師走二日(12/02)。
翌年落成予定の「法成寺」が完成する前に「出家」されたのかしら
落成記念イベントにて道長との僧・尼僧コラボ?
もしそうなら、倫子さんは「愛溢れる」女性、いとをかし(素敵っ)。
この「法成寺落慶法要」には後一条帝・敦良親王(後の後朱雀帝)、
彰子(太皇太后)・妍子(皇太后)・威子(中宮)の皆さんも
ご臨席あそばされたとの事です。
栄華を極めた道長、その「法成寺」にて晩年を過ごします。
それでも、やがて寄る年波に勝てず・抗せず・敵わず
1027年12月4日道長62歳、あの世に旅立ちます。
道長の素敵な「往生」模様は遡ること18年前2005/12/15に出稿済み。
「五色の糸 と をかし」にて。 続く。

Sakura

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