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2024年3月 9日 (土)

彰子出家し上東門院に 889

倫子さんの二度目の出家(1039年)以前に
彰子さんが出家してますのでこちらを先に挟みます。

「上東門院彰子御事
 前略 万寿三年(1026年)正月十九日出家年卅一(31歳)
 法名清浄覚 同日院号
 長暦三年(1039年)五月七日
 於法成寺 剃除鬢髪 大僧正朋尊為戒師
 承保元年(1073年)十月三日於法成寺阿弥陀堂崩年八十七」
国立公文書館デジタルアーカイブ 大鏡裏書 P21 19行~)
*法名・・・出家受戒の時、俗名を改めて授けられる名。

父・道長が薨(みまか 1027/12/4)る前年正月に彼女は出家しています。
法名が「清浄覚」、同じ日に(女)院号(「上東門院」)と。
*女院
朝廷から「院」または「門院」の称号を与えられた女性。
これを受けるのは天皇の生母・准母・三后・女御
その他の後宮・内親王などで待遇は上皇に準じた。
一条天皇の生母藤原詮子を東三条院と称したことに始まり、
後一条天皇の生母藤原彰子を上東門院と称して以来、
院・門院の二種となった。
(*は全て日本国語大辞典 精選版 小学館)
上東門は上東門第(邸)=土御門邸から。
義母で伯母の詮子さんは
991年円融帝崩御(2月)に伴い、落飾(9月)。
この落飾を以て「出家」と表現されていますが正式受戒されていません
ので「正式出家」とは云えません。
この「落飾」は超ロングヘアーを肩迄ショートボブヘアーにする事・・・。
「光る君へ」で詮子演じる吉田羊さんが991年に「白頭巾」着用は?
又、彼女が「女院」宣下の第一人者。
この宣下は彼女の「皇太后宮職」(役所)を廃止、「女院」号を与え
新たに「院役所」を設置する処置。(経済的基盤保護継続)
一方、彰子さんも1026年「出家」と表現されていますが
こちらも落飾のみと思われます。
ややこしいのが「法名」として「清浄覚」と記されています。
慮るに、これって「尼名」になるのでは?
然るに、道長は翌年1027年に法成寺に「尼戒壇」を創建します。
これは、きっと以て、彰子さん用に造られたと考えます。
従って、この年彼女は仮受戒し「清浄覚」尼になったやも。
(何せ女性は正式に授・受戒不可の時代だったんですもの。)
否、仮の仮なのかも知れません。
1039年5/07に「於法成寺 剃除鬢髪 大僧正朋尊為戒師」と。
もう、頭がこんがらがってしまいます。 続く。

Sakura

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