「この世をば」創成 源倫子 886
1000年の時点で彰子さん(988~1074)(大河演 見上愛)は13歳。
彼女の母は源雅信(920~993宇多源氏祖)(大河演 益岡徹)の
お嬢さん倫子(964~1053 90歳)(大河演 黒木華)、住居は土御門邸。
道長(966~1027)(大河演 柄本佑)の2歳上姉さん奥様。
「光る君へ4回」で、彼女はなな何と「五節の舞」の演舞を
まひろ(式部)に依頼していました。(984年豊明節会の設定?)
この3年後987年(12/16)彼女は道長と婚姻します。
そして、道長の「この世をばわが世とぞ思う望月の~」はここから。
988年長女 彰子~1074年 | 999/11入内1000/02中宮(一条帝) |
992年長男 頼通~1074年 | |
994年次女 妍子~1027年 | 1010/02入宮 1012/02中宮(三条帝) |
996年五男 教通~1075年 | |
999年四女 威子~1036年 | 1018/03入内 1018/10中宮(後一条帝) |
1007年六女 嬉子~1025年 | 1021/02入宮 |
《嬉子は頼通養子として敦良親王〈後の後朱雀帝〉へ》
1018/10/16威子中宮で「一家立三后」(太皇太后・皇太后・皇后)の成立。
「~欠けたることもなしと思えば」(威子中宮冊立の宴にて)
この歌を詠じる状況を創り上げたのは偏に「倫子さん」のお陰。
尚、「この世をば~」は道長の「御堂関白記」記載ではなく、
藤原実資(さねすけ957~1046 90歳)(大河演 秋山竜次)の「小右記」
に記されています。(小右記→小野宮右大臣日記)
実資の極官が右大臣、小野宮(号)は彼の祖父、
藤原実頼(900~970)の伝領邸宅名、実頼は
藤原忠平(880~949)の長男、藤原北家嫡流で藤氏長者。
但し、帝の外祖父になれず、弟の師輔(908~960)の系譜へ。
師輔の長女、安子さん(927~964)が62村上帝(926~967)へ嫁ぎ、
63冷泉帝(950~1011在967~969)64円融帝(959~991在969~984)
お二人の帝をこの世へ。
「光る君へ6回(2/11)」時点での帝はこのお二人の後、
65花山帝(968~1008在984~986)の御代に。
そして、実資は実頼の養子となり多くの家領を相続し小野宮流を継承、
この莫大な経済的背景により道長権力へ追従せずに過ごせた感じ。
続く。
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