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2024年1月27日 (土)

定子落飾も一条帝へ再入内 883

藤原道隆のお嬢さん定子(977~1000 24歳)(大河演 高畑充希)は
990年14歳で一条帝(11歳)に入内するも995年父親(43歳)が死去、
大きな後ろ盾を失います。更に、
兄・伊周(974~1010)(大河演 三浦翔平)の不祥事から
弟・隆家(979~1044)(大河演 竜星涼)も巻き込まれた
伊周の東三条院への呪詛等、翌996年花山院奉射事件(長徳の変)
により、兄(23歳)播磨→太宰府・弟(18歳)但馬→出雲へ左遷され、
ここに頼れる身内男性が存在しない事態に陥ります。
一連の政治的処理は
後に「我が世の春を謳歌する」定子さんの叔父道長(31歳)の仕業。
又、一条帝(17歳)の母親・詮子→東三条院(35歳)の助力も。
定子さんは身重の体にも関わらずこの事態に
自ら髪を切られたと。(出家の意思表示なのかしら?)
更に彼女に不幸が襲います。
出産の為、里下がりしていた里第(二条宮)が火事で焼失(放火?)、
母・高階貴子さん(?~996)(大河演 板谷由夏)が死去。
しかしながら、気丈にもこの年の師走、
小二条殿(枕草子から類推)、或いは、
平惟仲邸(朝日日本歴史人物事典)にて女児(脩子内親王)を出産。
(平惟仲については後ほど)
ちょいと外れますが、
更級日記の著者である菅原孝標女さん(1008~1059以降)は
脩子内親王(996~1049 54歳)さんから「枕草子」写本を頂いています。
又、菅原道真の玄孫でもある彼女は「源氏物語」も耽読してたとか。
定子さんに戻ります。
年が明けて997年寵愛する定子さん(21歳)と初子のお嬢さん(2歳)
に会いたさで一条帝(18歳)は宮中に彼女を再入内させる画策。
但し、落飾・出家された定子さん(中宮)を内裏に戻す事は
先例がなく異例中の異例の出来事なのです。
一方、一条帝は斬新・先進的な発想が可能なお方だったやも。
しかし、定子さんは内裏内にはお入り頂けなかったのです。
定子さんの居中空間は清涼殿東北区域(登花殿・弘徽殿等)ではなく、
「中宮職の御曹司」(中宮等担当職員が勤める部屋)だったのです。
「徒然草」ファンならあの「しきのみそうし→職の御曹司」です。
(「母屋は鬼あり」で御曹司の母屋には「妖怪」が棲んでいると!)
とは云うのものの、この空間は「大内裏」内にはなります事よ。
(この年詮子〈36歳〉病平癒大赦で伊周・隆家は罪を赦されてます。)
一条帝の所行は「今・金・自分だけ」公卿・堅物官僚方々に
反発を食らいますが、「私は帝、お黙り」ってな我が侭を通した感じ?
先進的発想は時間経過によりやがて定番になるのが世の常。
定子さんもご立派、落飾・出家は気持ちの整理・区切りの感、
落飾・剃髪は前髪揃え感じでほんの少しだけのカットだったのでは?
お二人はこの後懇ろに過ごされ、定子さんは999年霜月に
敦康親王(999~1018 20歳)をこの世に送り出しています。
この事実から定子さんの「職の御曹司」でのお暮らしは
一時の目眩ましで、内裏内の「ひ・み・つ」の空間が用意され、
帝の「夜のおとど(寝室)」で仲睦まじくされたと考えます。
(帝がまさか内裏外へ通われたとは全く考えられません。) 続く。

Ume77

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