授戒は戒壇院→自誓・受戒へ 880
覚盛らの行った「*自誓・受戒」について
仏語。仏の定めた戒律を受けること。出家、在家を問わず、教団
にはいったしるしとして、それぞれ特定の規律に従うことを誓う
儀式で、これに従他受と自誓受の二つがあり、従他は特定の師僧
から受けるもの、自誓はそうした師の得られないとき、みずから
誓って受けるもので、大乗菩薩戒だけの特色である。ただし一般
には大乗・小乗とも従他受であるが、特に正式の僧(比丘)にな
る場合は三師七証の一〇師から受ける。
〈語誌〉日本では、天平勝宝六年(754)に東大寺で
三師七証(戒和上・教授師・羯磨師と七名の立会僧)による
受戒が鑑真によって執り行なわれ、天平宝字五年(761)
下野の薬師寺・筑紫の観世音寺に戒壇を設けての受戒が行なわれた。
また、最澄によってそれ以前の具足戒とは異なる大乗戒壇の別立
が企てられ、以降、種々の大乗戒が執り行なわれることとなった。
*戒律(仏語)
仏が自発的なものとして与えた戒めと、
僧に対する他律的な規律の意。
戒と律は別であるが、一般には混用される。
基本的に「正式な僧侶」になる為には「従他受(三師七証)」が必須。
遡ると艱難辛苦にて訪日された「鑑真」が「戒」を授けた最初のお方。
来日九州上陸後(753年)、鑑真は「観世音寺」で「授戒」してます。
翌年(754年)、聖武上皇・光明皇太后らが「受戒」されました。
その「授・受戒」儀式場が「戒壇院・堂」755年東大寺戒壇院・堂がお初。
*鑑真
唐の帰化僧。揚州江陽県の人。日本律宗の祖。
天平勝宝五年(753年)、
失明の身で仏像、律天台の経典を携えて来朝。
東大寺に始めて戒壇を設け、聖武天皇、孝謙天皇らに戒を授けた。
のち大僧都となり、大和上の称号をうけ、
天平宝字三年(759年)唐招提寺を建立。
その後、筑紫観世音寺戒壇院と下野薬師寺戒壇院(共に761年)が。
但し、この「授戒・受戒」制度は諸般の事情にて形骸化します。
一方、平安時代に入り、東大寺で具足戒を受け、
朝廷に覚えめでたい最澄(766~822)は
異なる「授戒・受戒」制度(円頓戒)を以て戒壇院設置を目論みますが
朝廷の勅許が出ず、比叡山延暦寺東塔戒壇院(827年)は没後に。
*具足戒は「少輔得業璋円の娘 出家し信如房」でご確認を。
*円頓戒
仏語。天台宗で受持する大乗戒。梵網経に説く十重四十八軽戒。
法華一乗の円頓の妙旨に基づいて用いられた。
(*は全て日本国語大辞典 精選版 小学館) 続く。

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