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2023年12月 2日 (土)

比丘僧 転じて比丘尼に 879

「太子伝聖誉抄」の中宮寺・信如房さんに関しては先週で終了です。
ところが、信如房さんがお過ごしになった「時空=宇宙」に於いて、
比丘・比丘尼関連で「性転換」された事柄が「聖誉抄」に
記述されているのです。
但し、現代の心・体の問題から生じる「LGBTQ」とは異なります。
比丘・比丘尼につきましては2023/9/9に
「少輔得業璋円の娘 出家し信如房」で少し紹介しました。
(比丘→男性 比丘尼→女性)
「聖誉抄」に記載されている箇所は下記になります。

「覚盛律師ノ同法ノ比丘僧一人俄ニ転シテ形チ女体トナリ比丘尼ト変シ」
東京国立博物館 デジタルライブラリー 太子伝聖誉抄下P43 3行~)
*覚盛(1193~1249)は「聖徳太子平氏伝 聖誉抄」に。再度紹介。
鎌倉前期の律宗の僧。高山寺の明恵および西大寺の戒如に師事。
叡尊などと自誓、受戒して律学の復興に尽くした。
唐招提寺中興の祖といわれる。
*明恵(1173~1232)
鎌倉初期の華厳宗の僧。諱は高弁。紀伊国の人。
文治四年(1188)上覚について出家。建久六年(1195)
紀伊国白上の峰にはいって修行を積み、1198年高雄に帰って文覚
から栂尾の復興を託された。
建永元年(1206)後鳥羽上皇から栂尾の地を賜わり、古寺を復興し
て高山寺と名づけ、華厳宗興隆の道場とした。
*叡尊(1201~1290)
鎌倉中期の僧。真言律宗中興の祖。諡は興正菩薩。はじめ密教を
学び、のち西大寺に住んで律宗を研究。
*律宗
中国仏教一三宗の一つ。唐初の道宣が四分律を所依として広めた
四分律宗の系統に立つもので、日本へは奈良時代に鑑真が伝えた。
唐招提寺が総本山。
(日本国語大辞典 精選版 小学館)

この女体に転じた「比丘僧」は何も好き好んで、
「比丘尼」になったわけではありません事よ!念の為。
覚盛は以前紹介しました「笠置寺解脱上人=貞慶」
戒律を復興する為に選ばれた僧のお一人です。 続く。

Tubaki6

 

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