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2023年11月18日 (土)

曼荼羅解読 間人皇女忌日確定 877

ここからの読み解き現本写本は「信如房悦て」でご確認下さい。
お話を元に戻します。
信如房さんはご縁を使い、京都在住の花山院師継と定円さんに
お二人ご一緒で京都某所にて御覧頂く段取りを取ります。
そして、乱雑になっていた400文字100亀を並べ替え作業を成し遂げ
お二人共に同じ読みに辿り着いたのでした。
そちらの内容は以前「天寿国繍帳 亀の甲四文字1~3」
で紹介しました。今一度ご確認下さい。
確かに、亀甲100ピースの順列を整え読解された
花山院師継と定円さんの博学ぶりには頭が下がる思いです。
更に驚くことに定円さんは読み取り「天寿国曼荼羅繍帳」のコピー、
「新曼荼羅繍帳」を製作されるのです。
それも翌年(1275年)8月に完成の日の目を。
「亀・四文字×100」全て刺繍で表現しているのです。
これにて信如房さんは大願成就、
厩戸皇子の母、間人皇女さんの命日が12月21日と判明。

タイトル 御忌日事
「曼荼羅文に歳(←トシツキ)在辛巳(621年)十二月廿一日癸酉日入
 上宮太子御母儀間人皇女御入滅アリ
 明年二月廿二日上宮太子御入滅アリ。」
東京国立博物館 デジタルライブラリー 太子伝聖誉抄下P51 5行~)

「忌日」が「辛巳(621年十二月廿一日癸酉日入」の「癸酉」について。
621年時点での暦は「元嘉暦」使用から「甲戌」が正しいのですが?
「癸酉」は「儀鳳歴」換算からとの問題が生じます。
「日本書紀神代→安康帝 698年~執筆」にて、
「儀鳳歴」は690年~(「元嘉暦」併用)、698年から単独使用です。
旧「天寿国曼荼羅繍帳」は少なくても690年以降の製作とは
とても思えませんので「単純ミス」では?
それとも、何か企てが・・・・・? 続く。

Kiku5

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