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2023年11月11日 (土)

霊山定円法印と卜部兼文さん 876

ここからの読み解き現本写本は「信如房悦て」でご確認下さい。
超知識人のもうお一人は「(霊山)の定円法印」さん。
定円さん(1230~1302?)は京都霊山寺の天台僧で勅撰歌人。
*法印・・・法印大和尚の略 僧侶の最高の位 僧正に相当。
(日本国語大辞典 精選版 小学館)
彼は「藤原(葉室)光俊(1209~76)」のご子息。
葉室光俊は藤原定家に師事「新勅撰和歌集」歌人の一人。
*藤原定家(1162~1241)・・・「新古今和歌集」「百人一首」の撰者。
*新勅撰和歌集・・・藤原定家が後堀河天皇の勅宣により撰集し、
 1232年に編纂を開始し、1235年に完成。
(Google Search Labsから抜粋)
尚、定円さんの詳細は下記を御覧下さい。
「霊山法印定円と『法隆寺宝物和歌』」加賀元子(1999年 )P50~
*太子伝玉林抄・・・聖徳太子の伝記「聖徳太子伝暦」の注釈書です。
 室町中期(1448年)に法隆寺僧侶の訓海によって著される。
(Google Search Labsから抜粋)
上記から
1274/4/14 東山で繍帳解読 二人と 平野(神社)神主兼輔(卜部兼文)
1275/08(建治元年)新曼荼羅繍帳完成 後、太子曼荼羅講式を作成
1278/3/21(弘安元年)中宮寺棟上式 新曼荼羅繍帳は法隆寺に
と著述されています。
「玉林抄」は「聖誉抄」と異なり、「曼荼羅繍帳」読解者が三人で
平野神社神主、兼輔(=卜部兼文)、お一人が追加されています。
「曼荼羅繡帳」発見1274年→
「聖誉抄」1394~1428年完成→
「玉林抄」1448年に出来上がり順番です。
更に著者「聖誉」、及び、「訓海」さんお二人とも法隆寺僧侶です。
新たな情報(卜部兼文の件)が追加されのかしらん。
ところで、兼文さんのご子息が「卜部兼方」さん。
「釈日本紀」を著したお方。
彼には以前、
「応神帝5世孫詳細」「垂仁帝7世孫」「伊予国風土記逸文」
で大変お世話になりました。 続く。

Kiku5

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