綱封蔵に盗人侵入 蔵解放 872
ここからの現本写本は「夢見たる同法の尼衆」でご確認下さい。
物語は一挙に好転します。
何と翌年、1274年(文永11年)早春、法隆寺「綱封倉(=蔵)」に
「盗人(泥棒)」が侵入したのです。
蔵に立ち入った手口は蔵の裏手に火を付けた形跡があったと。
お江戸時代なら「火付盗賊改」が活躍するのですが
まだこの時代はそのような役目方が存在しませんでした。
法隆寺のお坊さん達は訓練をしていたのか?
後日、窃盗物件を確認する為、
段取りよく、興福寺別当に「奏聞」、「勅符」で蔵を開けたのです。
急ぎ、お坊さん達は蔵内を調査したところ
収納箱が少し傷つけられていただけで
奇しくも「宝物」は一切盗まれていなかったのです。
この事実に安堵すると
お坊さん達はお約束通り中宮寺の信如房さんに
蔵が開いている状況を連絡する使いを送ります。
何だかこの進展、「ドラマ」を見ているような感じ。
しかし、疑問を挟むのは愚の骨頂。
「ものがたり」は往々にしてこのようなもの。
異を唱えること無く素直に「飲み込む」事が「お・と・な」?
さて、穴穂部間人皇女の忌日が記載されている「曼荼羅」は
見つかるのでしょうか?
きっと以て、「ネタバレ」になりますが
皆さんお分かりのように「天寿国繡帳」が発見できるのです。
おあとは来週に。 続く。
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