法隆寺へ駆けつける信如さん 871
「太子伝聖誉抄 天寿國曼荼羅起因」原文写本の続き。
「夢見タル同法ノ尼衆ヲツレテ
則日法隆寺ニ参リ 宗トアル寺僧達ニ此由ヲ申サル
サル万タラハ未タ昔ヨリ見及不侍
忝モ勅符ヲ付ラル紬ラ二ハアケ不侍
興福寺二西南院實宗僧都当寺ノ別当御座ス
別当牒以公家ヘ奏聞ヲ経 勅許ヲ蒙リ
別当許可ヲ得テ 開ク宝蔵ヲ也。
略 若求出シ玉以ソゝ
必ス貴寺ニ渡シ可奉ト云フ 信如房聞イテ悦テ帰玉フ
又次ノ年文永十一年甲戌春トク綱封倉ヘ盗人入リ 裏ヨリ焼アケテ
入タル跡アリ 幾ラ物ヲ取タル共不知 急キ奏聞ヲヘテ
別当二牒ヲ開キ見 宝物ヲ勘定スヘシトテ
開キ見ルニ サシテ物以ハ不取 内ナル櫃共モ皆鎖ヲカタクサス間
何モ工不リ取ケルカ 沈ノホタ六人シテ物ツ有ケルヲ
少シ削テカキトレル計也
此次ニトテ中宮寺ノ信如房ノ方ヘ使ヲヤラル。」
《赤字は不明 漢字・振り仮名に誤謬あるやもお気をつけて。》
(東京国立博物館 デジタルライブラリー 太子伝聖誉抄下P48 11行~)
信如長老さんは早速、
夢を見た「同法ノ尼衆」を連れ法隆寺へ一目散に駆けつけ、
法隆寺のお坊さん達に夢告内容をお話し申し上げました。
お坊さん達はそのような曼荼羅は御覧になった事は無く、
そもそも「勅符」がなければ蔵自体あける事ができないとも。
又、興福寺の別当が「公家」を通じ帝へ奏上し蔵解錠の「勅許」頂き、
「宝蔵」を開くとの情報も得ます。(但し、期日は不明)
大変遺憾ながら、「略」は読み取りができないのです。
特に「一+ヽ」はどの漢字を略したものなのか分からないのです。
お教え頂けますと、とても喜ばしい限りです。
皆さん、お時間があれば内容込みで「想像」して下さいませ。
「略」部分に繋がる次の展開は信如さん所望の曼荼羅が出現した際は
必ずやお渡し下さるとの仰せに信如さんは悦び、
中宮寺へお帰りのなったのです。 続く。
因みに10/4(水)に奈良正倉院にて「開封の儀」が行われたと。
勅使が来られ、麻縄を鋏で切って封を解く、今のお話と重なります。
「正倉院で「開封の儀」 年に1度、宝物を点検」(日経Web)
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