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2023年9月 2日 (土)

膳三穂娘 聖徳太子伝私記 866

法隆寺綱封蔵から天寿国繡帳の発見が1274年です。
それに関わる「信如」さんを
聖誉鈔は120年~150年程後に記述しています。
その箇所は「太子伝聖誉鈔(抄)下」の最後半に登場します。
タイトルは「天寿國曼荼羅起囙(=因)」として始まります。
サブタイトルは「太子三妃事」
膳大娘 髙橋臣ムスメ カシハテノ臣トモ名ノノ
二 河上ノ嬪 馬子ノ宿祢カ娘(=刀自古郎女)
三 尾治王ノ娘 推古ノ御孫也(=橘大郎女)
以後、太子五妃説の紹介と続きます。
 一 菟道貝蛸(日本書紀にての登場人物)
 二 膳大娘(=膳部菩岐岐美郎女)
 三 膳三穂娘
 四 多至波奈大女郎(=橘大郎女)
 五 蘇我馬子臣ノ女(=刀自古郎女)
東京国立博物館 デジタルライブラリー 太子伝聖誉抄下P38~
今回初での三番目 膳三穂娘は聖徳太子伝私記に記載されています。
「膳三穂娘為太子妃矣」
国立国会図書館 電子図書館 聖徳太子伝私記 P51 13行目)
聖徳太子伝私記(=古今目録抄) e国宝には
「聖徳太子伝に関する秘伝や法隆寺の寺誌を記したものである。 略
 13世紀前半に法隆寺の僧侶顕真が上下2巻にまとめ、上巻では
 師匠隆詮から伝授された法隆寺や聖徳太子伝の秘伝を記し、
 下巻では聖徳太子の舎人調使麻呂に関する秘伝と自らが
 調使麻呂直系の子孫であることを述べる。」と説明されています。
上巻1238年に下巻1239~53年の間に成立らしいとの事。
国立国会図書館 電子図書館 聖徳太子伝私記解説 P4 4行~)
こちらに嘉禎4年・暦仁元年→1238年 延応元年→1239年~
仁治3年→1242年~寛元3年→1245年~建長5年→1253年と。
と云う事は「顕真」さんも「天寿国繡帳」の存在はご存じなかった事に
なります。
ところで、膳三穂娘さんに関しては
「知らぬが仏」を決め込み、ここは前へ進む事にします。 続く。

Kikyou

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