太子伝聖誉抄 天寿國曼荼羅起因 869
次は中宮寺・法隆寺に於いての「天寿國曼荼羅起因」について。
「中宮寺ハ太子四十六箇ノ伽藍ニハ
太子ノ御母儀間人ノ皇女ノ御本願ニテ御ス
本願ノ御入滅ノ日 金堂釈迦光ノ銘文ニモ不分明
去年十二月ノ此間人皇女御入滅ノ由計リニテ都テ御忌日不分明
信如房是ヲ無念ニ思テ願是ヲ示シ玉ヘト常ニ祈請シ玉フ
殊ニ二月十五日ヨリ廿二日マテ八昼八夜ノ間別シテ以
御忌日ノ事ヲ祈リ玉フ 釈迦念仏申シ玉事毎年退転ナシ
比丘尼モ余タニ成リ繁昌シテ亀山院ノ御宇ニ
文永十年ニ至リ例ノ如ク二月十五日ヨリ釈迦念仏ヲ始ム
年々歳々ニ願ハ本願ハ本願ノ御忌日ヲ示シ玉ヘト祈悲シ玉ケリ
第六日暁朝ニ同法ノ比丘尼語テ云フ
此間御嘆キ◯ツル本願ノ御忌日ノ事ヲ今夜夢ニ見テ候
其様ハ法隆寺ノ名僧ト思ツル人 巻各万タラヲ持来リ
此中ニ本願ノ御忌日ノ㕝(=事)ハ侍ルヲ
法隆寺ノ綱封蔵ニ在リト云フ玉フト見侍リト云フ
綱封蔵トハ勅符ヲ綱所承テ付ル故二綱封蔵ト云ナリ
信如長老聞之悦フ事無限」
《赤字 ◯・候は不明 漢字・振り仮名に誤謬あるやもお気をつけて。》
(東京国立博物館 デジタルライブラリー 太子伝聖誉抄下P47 13行~)
太子46箇所の伽藍の内、中宮寺は太子母「間人皇女」が発願・建立。
*本願
寺院・塔・仏像などを創立し、法会を発起する事。又、施主。
(日本国語大辞典 精選版 小学館)
*46箇所の伽藍・・・日本書紀 推古帝に記載有り。
「(624年)秋九月甲戌朔丙子 校寺及僧尼 具録其寺所造之縁
亦僧尼入道之縁 及度之年月日也 当是時 有寺四十六所
僧八百十六人 尼五百六十九人 并一千三百八十五人」
*校・・・調べ正す
(国立国会図書館 電子図書館蔵書 日本書紀 推古帝P28 9行目~)
但し、聖誉抄は「太子四十六箇ノ伽藍」とありますが、
日本書紀には46全て「太子」由縁とは記述されていません。
因みに、蘇我馬子が建立した云われる「飛鳥寺」はどのような扱いに?
*飛鳥寺
奈良県高市郡明日香村飛鳥にある真言宗豊山派の寺。
推古天皇四年(596)蘇我馬子が最初の本格的寺院として創建。
法興寺、元興寺、本元興寺ともよばれた。現在は、僧坊安居院と
鞍作止利作と推定される釈迦如来坐像(飛鳥大仏)が残る
(日本国語大辞典 精選版 小学館)
疑問は残るも、624年時点でお寺が46、僧816人・尼569人の存在は
驚きです。女性僧は4割を越えています。男女共同参画空間? 続く。
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