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2023年8月26日 (土)

聖徳太子平氏伝 聖誉抄 865

皆さんお元気でしたか?待ち遠しい秋空ですが・・・・・。
それでは前回からの続きです。

「中宮寺 由緒 信如比丘尼による復興 鎌倉時代」に依ると
中宮寺、及び、信如さんについて
「平安時代になると寺運は衰退し、本尊とわずかな堂宇を残すのみと
 なります。それを鎌倉時代に中興したのが、
 興福寺学僧・璋円の娘・信如比丘尼でした」と。
彼女について「コトバンク 朝日日本歴史人物事典」
「(1211~?)鎌倉時代の尼。中宮寺中興開山。
 興福寺の学僧,璋円の娘。
 孤児となったのち,寛元年中(1243~47)に唐招提寺覚盛から
 比丘尼戒を受け,律宗の尼として出家。
 弘長2(1262)年に中宮寺に入寺して,同寺の復興に尽力。
 文永11(1274)年には法隆寺で天寿国曼荼羅繍帳を発見。 
 参考文献 細川涼一『中世の律宗寺院と民衆』」とあります。
*覚盛(1194~1249)
鎌倉前期の律宗の僧。高山寺の明恵および西大寺の戒如に師事。
叡尊(えいぞん)などと自誓、受戒して律学の復興に尽くした。
唐招提寺中興の祖といわれる。(日本国語大辞典 精選版 小学館)
中宮寺本については
宮内庁 書陵部所蔵資料目録に
「中宮寺縁起 中宮寺尼信如祈請等事」があります。
こちらが中宮寺本、或いは、その資料になるのではと思われます。
但し、こちらはWeb上で残念ながら確認不可能です。
しかしながら、信如さんのより詳しい情報は
「太子伝聖誉抄」にて確認可能なのです。
この「聖誉鈔(抄)」は
東京国立博物館 デジタルライブラリー 太子伝聖誉抄P2
足利義満(1358~1408)・義持(1386~1428)親子が台頭した
応永年間(1394~1428)に成立とされています。この時代の僧侶の
「聖誉」さんが「聖徳太子伝暦 平氏撰(=聖徳太子平氏伝)」を
注釈している書物です。
最初の書き出しは当然、「聖徳太子伝暦 平氏撰」のコメントから。
そこには「太子入滅(622年)」の371年後、正暦3年(993年)に
「聖徳太子伝暦」が上下2巻になった事。
更にその後「平基親 同季貞」が撰集したので平氏伝とされた事など。
但し、異説があるのでご注意を、とも語っています。
東京国立博物館 デジタルライブラリー 太子伝聖誉抄P3~
これ以降、「太子御名事」(太子列挙)、「伝者」、「暦者 暦三者」等々
記述されていますのでご興味有る方はご一読を。
「太子伝聖誉抄」はこの「聖誉鈔(抄)」の写本になります。
この写本は最後に「天文十六季 丁未 菊月廿八之写了」と記入されて
いますので1547年9月28日 法隆寺西室 沙門(僧侶)澄経さん作に。 続く。

Kikyou

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