天寿国繍帳 法隆寺資財帳に不在 862
狩谷棭斎(望之)さんの「法王帝説證注」での注意書きに
「法隆寺資財帳(法隆寺伽藍縁起并流記資財帳)」
について触れてます。その文言は下記になります。
「法隆寺資材帳云、通分繍張弐張、其帯二十二條(条)、
鈴三百九十三、右納二賜浄御原宮御宇天皇一者、興レ此異、恐別物。
資材帳又有二繍八部、帳壱張、長七尺広五尺者一、
亦未レ詳二此所レ言之物否一。」
この箇所の法隆寺資材帳は
「合通分繍帳貳張(其帶廿二條 鈴三百九十三)
右納賜淨御原宮御宇(天武帝) 天皇者」
(国立国会図書館 電子図書館 法隆寺資材帳 P14 20行目)
「繍八部帳壹張(長七尺廣五尺)」
(国立国会図書館 電子図書館 法隆寺資材帳 P24 19行目)
「右壹口天平十年歳次戊寅(738年)正月十七日納
賜平城宮御宇 天皇者(桓武帝)」
(国立国会図書館 電子図書館 法隆寺資材帳 P29 4行目)
この資材帳の2箇所の記録は
似より感漂うものの、天寿国繍帳とは異なるものではないかと
恐れ多くもと、狩谷棭斎(望之)さんは述べてます。
この法隆寺資材帳は747年に作成されています。
と云う事は既にこの時点で「天寿国繍帳」は法隆寺にはなかった事に。
「天寿国繍帳」は不在、一体何処(いづこ)に?
最初に「上宮聖徳法王帝説」を記述されたお方も
どこへ行ったか分からないと記載しています。
「天寿国繍帳」さん出てらっしゃい。 続く。
| 固定リンク
コメント