天寿国繍帳は最初法隆寺に 860
天寿国曼荼羅繍帳の由来が記述された「亀さん100匹」。
偶々、「上宮聖徳法王帝説」が書き残して下さってお陰で内容を
知る事が可能になりました。
但し、「天寿国曼荼羅」を「図像」で刺繍表現した「帷(帳)二張」の
殆どが現存していません。
「中宮寺のレプリカ」で目にできるのは、ほんの僅かです。
(この実物は奈良国立博物館に寄託されているとの事。)
ところで、「天寿国曼荼羅帷(帳)二張」ですが、
「上宮聖徳法王帝説」の亀甲刺繍文字に紹介に続き下記のように。
「右在二法隆寺蔵一 繍張二張縫著 亀背上文字者也 更更不レ知者也」
(国立国会図書館 電子図書館 上宮聖徳法王帝説 P15 16行~)
右は法隆寺の蔵(くら)にある繍帳(ぬひとはり)二張(ふたはり)に
亀背(きはい)の上の文字(もじ)を縫(ぬ)ひ著(つけ)たる者なり。
さらにさらに知れざるものといふなり。
何と、この「帷(帳)二張」は「法隆寺」にあったのだと。
しかし、その後の行方は誰も知らないと。
最初は「法隆寺」の何処かに飾られ、
(使用しない際は)それを「法隆寺の蔵」に保管されていたと。
更にこの上の文章に「注意書き」が書き留められています。
「按、是帳残片、今蔵在二中宮寺一、称二天寿国曼荼羅一。
舊(旧)跡幽考、載二中宮寺天寿国曼荼羅一、
荘厳妙囘著二亀甲文一百許一、各縫二四字一者、即此。
余客歳獲拜(拝)二観之一、爛脱殆画、銘文僅在二十二字一耳。
法隆寺資材帳云、通分繍張弐張、其帯二十二條(条)、
鈴三百九十三、右納二賜浄御原宮御宇天皇一者、興レ此異、恐別物。
資材帳又有二繍八部、帳壱張、長七尺広五尺者一、
亦未レ詳二此所レ言之物否一。」
読み解きは来週に。 続く。

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