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2023年7月29日 (土)

再び 中宮寺 亀の甲400文字 863

ところで、
「知恩院蔵上宮聖徳法王帝説」、及び、「法王帝説證注」ですが
亀の甲400文字の内、「皇前曰啓」が記述されておらず
一亀分4文字が不足してしまうのです。

「于時多至波奈大女郎 悲哀嘆息白 畏天之雖恐
 懐心難止使 我大王与母王」
国立国会図書館 知恩院上宮聖徳法王帝説 P13 4行目)
そして、これを狩谷棭斎(望之)さんが原本写本してますので
同じ文言になりますが、注意書きが添えられています。
「畏天之 (以下注意書き)
 中宮寺本、及松下氏本、天下有皇前曰啓四字
 按、中宮寺賨蔵、繍帳残片、亦存此四字
 然下文解義之條、無此四字。 葢作是書者、所見本、
 偶脱之也。当中宮寺、松下氏本補正。」
国立国会図書館 電子図書館 法王帝説證注 P15 6行目)

上記の「松下氏本」は松下見林さん。
*松下見林(1637~1703)
江戸初期の儒医、国学者。大坂の人。国学と考証に詳しく、
「三代実録」を刊行した。著は他に外国資料による日本史研究書
「異称日本伝」など。寛永一四~元祿一六年
(日本国語大辞典 精選版 小学館)
松下見林さんはきっと以て、
中宮寺の「修理天寿国曼荼羅繍帳と複製品」
(信如比丘尼による復興)、及び、それをお手本として
亀の甲400文字を記述した新版「上宮聖徳法王帝説」=「中宮寺本」
(中宮寺蔵書)の存在、或いは、その写本を知り得たのでしょう。
その「中宮寺本」の写本が「松下氏本」に。
上記の「中宮寺 由緒 信如比丘尼による復興 鎌倉時代」には
「信如比丘尼さんが文永11年(1274年)02/26に天寿国繍帳を
 法隆寺綱封蔵で発見、中宮寺に戻し?修理、並びに複製品製作」
と書かれています。
この由緒に依ると、法隆寺綱封蔵で見つけた天寿国繍帳は
それ以前、中宮寺蔵だったと述べられています。 続く。

Asagao

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