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2023年6月10日 (土)

天寿国繍帳 亀の甲四文字1 856

先週、中宮寺の「天寿国繍帳」について紹介しました。
もう一度「亀の甲(羅)の部分刺繍」をご覧下さい。
日本最古刺しゅう復元 奈良・中宮寺に奉納、一般公開へ
(日経Web) こちらの下の画像をクリックして下さい。
亀の甲に四文字が刺繍されています。
基本的に昔の「漢文・和文」は縦書き・右→左読みが原則です。
画像亀の甲文字を読んでみます。
」となります。下記が以前「中宮寺 天寿国繡帳」で
厩戸大王(皇子)が亡くなった箇所の前文になります。

「斯帰斯麻宮治天下天皇 名阿米久爾意斯波留支比里爾波乃彌己等
 娶巷奇大臣 名伊奈米足尼女 名吉多斯比彌乃彌己等為大
 生名多至波奈等已比乃彌己等
 妹名等已彌居加斯支移比彌乃彌己等
 復娶大后弟 名乎阿尼乃彌己等為后 生名孔部間人公
 斯帰斯麻天皇之子 名蕤奈久羅乃布等多麻斯支乃彌己
 娶庶妹名等已彌居加斯支移比彌乃彌己等為大后
 坐乎沙多宮治天下 生名尾治王 多至波奈等已比乃彌己等
 娶庶妹名孔部間人公主為大后 坐瀆辺宮治天下
 生名等已刀彌彌乃彌己等 娶尾治 大王之女
 名多至波奈大女郎為后 歳在辛巳十二月廿一 癸酉日入」
国立国会図書館 電子図書館 上宮聖徳法王帝説 P14 9行~)

*斯帰斯麻宮(しきしまのみや)・・・磯城嶋(しきしま)金刺宮(日本書紀)
 現在の奈良県桜井市慈恩寺に比定されています。
*阿米久爾意斯波留支比里爾波乃彌己等→欽明帝
 (あめくにおしはるきひろにはのみこと)・・・天国排開広庭尊(日本書紀)
*巷奇(そが=蘇我)大臣
*名伊奈米足尼女(みなは いなめのすくねのむすめ)・・・稲目宿祢の娘
*名吉多斯比彌乃彌己等(みなは きたしひめのみこと)・・・堅塩媛尊
*大后(おほきさき)=堅塩媛尊(日本書紀)
*名多至波奈等已比乃彌己等→用明帝
 (なはたちはなとよひのみこと)・・・橘豊日尊(日本書紀)
*妹名等已彌居加斯支移比彌乃彌己等→推古帝
 (いもとのみなはとよみけかしきやひめのみこと)・・・豊御食炊屋姫尊
*娶 大后弟 名乎阿尼乃彌己等・・・小姉尊(日本書紀)
 (おほきさきのいもとみなはをあねのみことをめあわして
*為后(きさきとなす
*生 名孔部間人公主・・・穴穂部間人皇女(日本書紀)
 (みなはあなほべはしひとのひめみこをうます
*斯帰斯麻天皇之子(しきしまのすめらみことのみこ
*名 蕤奈久羅乃布等多麻斯支乃彌己等→敏達帝
 (みなは ぬなくらのふとたましきのみこと)・・・渟中倉太珠敷尊(日本書紀)
*娶 庶妹名等已彌居加斯支移比彌乃彌己等 為大后(=推古帝)
 (ままいもみなはとよみけかしきやひめのみことをめあわして おほきさきとなす
*坐 乎沙多宮 治天下 生名尾治王
 (をさたのみやにましまして あめのしたしろしめす みなはをはりのみこをうます
*多至波奈等已比乃彌己等
 (たちはなとよひのみこと
*娶 庶妹名孔部間人公主為大后
 (ままいもみなはあなほへはしひとのひめみこをめあわして おほきさきとなす
*坐瀆辺宮治天下→池辺双槻宮(いけのへのなみつきのみや日本書紀)
 (いけのへのみやにましまして あめのしたしろしめす
*生 名 等已刀彌彌乃彌己等→厩戸豊聡耳皇子(日本書紀)
 (みなはととよとみみのみことうます
*娶 尾治大王之女名多至波奈大女郎 為后→橘大女郎
 (をはりのみこのむすめ みなはたちはなのおほいらつめをめあわして きさきとなす
★ルビは「上宮聖徳法王帝説」に振ってあるものです。  続く。

Botan

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