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2023年5月13日 (土)

法隆寺伽藍縁起并流記資財帳 852

以前、「中宮寺弥勒菩薩像」
聖徳太子のゆかりお寺で、厩戸大王(皇子)建立した云われている
「聖徳太子建立七大寺(=太子起七寺)」、
四天王寺・法隆寺(斑鳩寺)・中宮寺《尼寺》・橘寺《尼寺》
蜂丘寺(広隆寺)・池後寺(法起寺)・葛木寺《尼寺》。
この内、「伝暦」、及び、「法王帝説」の説を大目に見ても
「中宮寺建立」は
厩戸大王(皇子)の「発願」迄ではないかと思われますが?
と疑問を呈しました。
しかし、この法王帝説の「太子起七寺」注(後のお方の注釈)にて
「法隆寺伽藍縁起并流記資財帳」の情報が記述されているのです。
*流記
後代にまで流し留める記録。多く流記資財帳をさしていう。
*資財帳
奈良・平安時代、律令国家が官大寺・定額寺にその寺領・経典・
仏像、その他宝物・奴婢、および寺の縁起などを上申させた
財産目録。(日本国語大辞典 小学館)
直接、法隆寺資財帳から。

「法隆寺 上
 伽藍縁起并流記資財事
 奉為池辺大宮御宇 天皇并在坐御世御世
 天皇 歳次丁卯 小治田大宮御宇 天皇并東宮上官聖徳法王
 法隆学問寺 并四天王寺 中宮尼寺 橘尼寺 蜂岳寺 池後尼寺
 葛城尼寺(乎) 敬造仕奉」
国立国会図書館 電子図書館 法隆寺資財帳 P2 1行~)
法隆寺資財帳の最終頁
「天平十九年(747年)二月十一日 都維那僧霊尊」
国立国会図書館 電子図書館 法隆寺資財帳 P34 6行)
池辺大宮天皇並びに御代御代にいます天皇の為、丁卯(607年)に
小治田大宮天皇並びに東宮上官聖徳法王、7寺を建造仕え奉る。
これに依ると、607年には中宮寺を含め7寺は既に建立済みって事。
しかるに、「聖徳太子伝暦」の
「中宮寺(此寺 間人穴太部皇后之宮也) 皇后崩後為寺」情報は
お間違い。間人皇后在命中に「中宮寺」は建立済みなのです。
「伝暦」の著者は「法隆寺伽藍縁起」をご覧になっていなかった?
それとも、「お寺」は菩提を弔う為に造立するものとのお考えだった?
この「法隆寺伽藍縁起并流記資財帳」は747年2月11日作成。
朝廷の詔(716年5/15「録部寺家可合并財物」)
国立国会図書館 電子図書館 続日本紀 元正帝 P83 2行)
により提出しなければならない
「法隆寺資財帳」に虚偽申告は許されないと考えますが・・・・・?
 続く。

Ayame

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