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2023年4月15日 (土)

法隆寺 金堂 薬師如来像 850

前々々回は法隆寺 金堂 釈迦三尊像
前々回は中宮寺 寺宝 天寿国繡帳に触れました。
今日取り上げるのは「法隆寺 金堂 薬師如来像」です。
釈迦三尊像は中央に、
薬師如来像は向かって釈迦三尊像の右に安置されています。
この薬師如来像の光背にも銘文が刻まれているのです。
この「銘文」も釈迦三尊像、天寿国繡帳と同様「上宮聖徳法王帝説」に
記載されています。

「池辺大宮治天下天皇 大御身労賜時 歳次丙午年
 召於大王天皇与太子 而誓願賜 我大御病 太平欲坐故
 将造寺 薬師像作仕奉詔 然当時崩賜造不堪者
 小治田大宮治天下大王天皇及東宮聖王
 大命受賜 而歳次丁卯年 仕奉」
国立国会図書館 電子図書館 上宮聖徳法王帝説 P11 8行~)

*池辺大宮治天下天皇
池辺大宮で天下を治める天皇(すめらみこと)は「用明帝」。
池辺宮(=磐余池辺双槻宮)・・・奈良県桜井市吉備(國學院大學)
「上宮聖徳法王」の「上宮」はこの宮殿の「南」にあったからとの事。
*歳次丙午年(歳が丙午に次《やど》る年)・・・586年
「歳次甲子正月戊申(戌)朔 始用暦日」から
604年=甲子。丙午(ヘイゴ ひのえうま)は甲子から遡ること18。
604-18=586年 (国立天文台 六十干支
*大王天皇与太子・・・???
*小治田大宮治天下大王天皇及東宮聖王
小治田大宮で天下を治める天皇(すめらみこと)は「推古帝」。
東宮聖王は厩戸皇子。
小治田宮(をはりだのみや)・・・奈良県高市郡明日香村豊浦
*而歳次丁卯年・・・607年
604年=甲子。丁卯(テイボウ ひのとのう)は甲子から3番目。
604+3=607年 (国立天文台 六十干支)
代  帝名      在位期間     在位年
30 敏達帝 572年04月~585年08月 14年
31 用明帝 585年09月~587年04月 02年
32 崇峻帝 587年08月~592年11月 05年
33 推古帝 592年12月~628年03月 36年
天皇系図(宮内庁) 日本書紀
用明帝は586年病気を患った際、病の快癒を願い寺と薬師像造営を
誓うもあにはからんや崩御、
607年推古帝と厩戸皇子は兄・父の意志を継ぎ、
寺(斑鳩寺→法隆寺)を建立、薬師如来像を安置したと。
(日本書紀では587年4/2罹患《瘡⇒痘瘡》4/9崩御と)
ここで不明な箇所は「召於大王天皇与太子」。
用明帝が「大王天皇与太子」を召し(お呼びになり)なのですが、
大王天皇と太子は一体どちら様になるのでしょうか? 続く。

Ayame

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