厩戸大王 妻3名子女14名 844
今回は厩戸大王(皇子)の父母・妻子について整理してみます。
ここからの情報は以前、「厩戸皇子 甲午年(574年)生誕」で
お世話になった「上宮聖徳法王帝説」(国立国会図書館)に依ります。
用明帝(?~587在585~587)←父
穴穂部間人皇女(?~621/12/21)←母
厩戸大王(574~622/2/22)←本人
妻子
膳部菩岐岐美郎女(?~622/2/21)
舂米女王(?~643/11/11)(つきしねのみこ)
長谷王(?~628)
久波太女王
波止利女王
三枝王
伊止志古王
麻呂古王
馬屋古女王
刀自古郎女(蘇我馬子の娘 とじこのいらつめ)
山代(背)大兄王(?~643/11/11 舂米女王娶る)
財王
日置王
片岡女王
位奈部橘王(=橘大郎女 天寿国曼荼羅繡帳を作成)
白髪部王(?~643/11/11)
手島女王
都合、奥様3名子女14名(男子8名女子6名)になります。
尚、厩戸大王は598年(推古6年)春三月桜の季節、25歳で
膳部菩岐岐美郎女(かしは〈わ〉でのほききみのいらつめ)
=膳大娘(かしは〈わ〉でのおおいらつめ)を妃としています。
「六年戊午 春三月 挙膳大娘為妃」
(国立国会図書館 電子図書館 聖徳太子伝暦 P30 15行目)
「聖徳太子伝暦」は厩戸大王の伝記で570~645年に渡り編年体にて
記述されています。著書は不明、成立年も不詳です。
「聖徳太子平氏伝」とも云われています。 続く。
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